「卒業したら東京に行くって決めていたので、高校時代はとにかくおカネを貯めようってアルバイトしまくりました。そもそも働くのが好きなんですよ」
高校時代は学校に行くというのがどうにも解せなかった。学校は特に行きたい場所じゃないのに、時間は拘束されるし、おカネまで払わされてしまう。それに比べてアルバイトはいい。とにかく行きさえすればおカネになる。
実家は中流家庭でおカネに困っているワケではなかったのだが、気づけばなぜかそんな考え方になっていた。
「当時、うちの近所のアルバイトは一律時給400円でした。確か法律上の最低賃金は時給450円だったんですが、なぜかそれよりも安い時給で統一されてました。それでも5時間働けば2000円になるんだ!!って喜々として、スーパー、文房具屋、ドライブイン、とどこでも働いてましたね」
クラスメートは試験中はアルバイトを休んで勉強していたが、すまきゅーさんは「いまさら、数日間勉強したって変わらないだろう」と開き直って、アルバイトを続行した。
服飾のスキルがあれば、とにかく生きていける
そして卒業後は高校生にしてはそこそこの貯金を持って、予定どおり東京の専門学校へ進学した。服飾の専門学校を選んだ。
絵も好きだったので、美術系の専門学校へ行こうか迷ったが、現実的に職業として成り立つ可能性が高いのは美術より服飾だと思った。
「服飾の専門学校に行くからといって、将来服飾デザイナーになりたいとか思っていたわけでは全然なかったですね。町のお直し屋さんでもいいし、服飾の工場に入ってもいい。服飾のスキルがあれば、とにかく生きていけるなって思いました。
私の母親は美容師だったので、美容学校に行ってもらいたかったみたいなんですけど、私は1対1でお客さんと向かい合うのが苦手なのでやめました。服を作るのは裏方の作業ですから接客しなくていいなって思ったんです」
服飾の専門学校は2年制の学校だったが、とても厳しかった。欠席7回で留年してしまう校則だったのでほぼ毎日学校に通わなければならなかったし、課題の量も多く、それをこなすだけでいっぱいいっぱいで大好きなアルバイトもできなかった。
周りの人たちは学校を辞めていき、すまきゅーさんも辞めたくなったが「入ったんだから最後までちゃんとやりなさい!!」と母親に説得されて、なんとか卒業した。
学校にはちゃんと通っていたものの、就学中にいっさい就職活動はしなかった。
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