「50代の結婚」という夢を叶えた人の"決め手" 人生100年時代に「後半戦」を楽しむヒント

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ビールからワインに進んでおしゃべりに盛り上がる筆者と恭子さんを見ながら、穏やかな表情でペプシコーラを飲んでいた幸太郎さん。お酒好きの恭子さんと違って下戸らしい。しかし、居心地悪そうにするどころか、恭子さんについてより深く知ることができるとてもいい機会だと言ってくれた。落ち着いた大人なのだ。浮気するようにも見えない。なぜ離婚をしたのだろうか。

「すごく簡単に言えば、カミさん(前妻)の娘に対する暴力です。あるとき、職場から早く帰ってきたら、当時高校2年生だった娘にカミさんが暴力を振るっているところを目撃してしまったんです。後から娘に聞いた話ですが、小さい頃からずっとだったそうです。私に目撃されたことで娘もたまっていたものが爆発し、『家を出ていく』と言いました。私は娘を守らなくてはいけません。翌日、私の実家に車で連れていきました」

当時、幸太郎さんは48歳。前妻の純子さんとは29歳のときに結婚し、娘にも恵まれ、親子3人で楽しく暮らしていると思っていた。しかし、知らないうちに純子さんは家庭生活に不満を募らせ、そのいら立ちを娘にぶつけていたのだ。

「5年間別居して、カミさんとの話し合いを続けました。なんとか元の家族に戻れないか、と。でも、カミさんは娘に悪いことは一度もしていないと言い張るのです。娘のほうは母親に拒絶反応を示すだけで、高校にも行けないぐらい精神的に不安定になってしまいました。そのうちに私は、娘という大事な存在へのスタンスの違いを感じるようになり、カミさんとの信頼関係が揺らいできたのです」

「1人で娘を育てた」という共通点

この話を傍らで聞いていた恭子さんが思わず口をはさんだ。幸太郎さんが前妻との関係を5年間もかけて修復しようと努力したのはすばらしいことだ、と。恭子さんもバツイチで、娘を1人で育ててきた経験があるだけに、幸太郎さんに深く共感するところがあるようだ。ここで幸太郎さんは、さきほどの恭子さんと同じような言葉を口にした。

「娘が高校に通えなくなり、大学受験にも失敗したとき、『娘を壊しちゃった』と思ったんです。だから、『オレは一生、こいつの面倒をみていけばいいんだ』と覚悟しました」

しかし、娘の菜穂さんは芯の強い女性だった。大学には1浪して入学し、ダブルスクールで資格を取り、子どもの頃から憧れていた海外の会社に入社。現在は、海外に住みながら仕事に勤しんでいる。

「妻との離婚調停をしたときには娘は成人していたので、親権の争いはありませんでした。お互いに慰謝料を求めたりもしていません。娘が就職先を決めたとき、私の体についていた重みがすべてなくなったのを感じました。経済的にも精神的にも、肩の荷がものすごく降りちゃったんです」

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