「50代の結婚」という夢を叶えた人の"決め手" 人生100年時代に「後半戦」を楽しむヒント

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連絡をくれた加藤恭子さんは、上品なワンピース姿にロングヘアの上品な女性だ。40代後半ぐらいに見える若々しさで、優しい奥さん風。建築関連会社の事務職として正社員で働いている。

パートナーの大谷幸太郎さん(60歳)は、すらりとした長身で姿勢のよい男性。禿げているが潔い短髪なので爽やかさがある。仕事帰りに作業着姿で「ぷあん」に駆けつけてくれた。機械部品関連の会社を1人で経営しているらしい。

すれ違うようになったきっかけは「バブル崩壊」

まずは恭子さんの話を聞こう。25歳のときに最初の結婚をし、33歳で出産。長い別居生活の末に46歳のときに離婚をしたという。別居期間も含めて、一人娘の美香さんをほとんど1人で育ててきた。前夫の俊之さんは13歳年上。気持ちがすれ違うようになったきっかけは「バブル崩壊」だった。

「宝石商をしていた彼は、結婚当初は仕事が順調で潑剌としていました。私は早くに父が倒れて闘病生活に入っていたこともあって、頼りにできる男性がほしかったんです。ファザコン気味だったのだと思います。バブルが弾けた後、彼は仕事を転々とするようになり、ギャンブルにもハマり、経済的にも精神的にも追い詰められてしまいました」

東京と大阪での別居婚を続けていたが、最後には俊之さんは音信不通のような状態になり、恭子さんは離婚を決意する。ようやく俊之さんの居場所を特定し、調停による離婚手続きに入った。親権と、東京で自分と娘が住んでいる一軒家をもらうことが条件だ。

「家には1000万円ほどのローンが残っていましたが、売れば借金の返済にも充てられたかもしれません。それでも譲ってくれたのは、娘への最後の愛情だったのだと思います」

借金返済に追われる俊之さんに養育費などは期待できない。恭子さんは小さなマンションを借りて美香さんと2人で住み、広い自宅は他人に貸すことにした。しかし、家賃収入はローンの返済額とあまり変わらない。幸いなことに正社員として働くことができていたが、「娘が大学を卒業するまでの費用を捻出できるか」でつねに頭がいっぱいだったと振り返る。

「離婚をしたとき、娘は中学1年生でした。自宅を出なければならなくなったとき、娘が引っ越し作業をずいぶん手伝ってくれたことを覚えています。『私はこの子のためだけに生きていけばいいんだな』と思いました。勤務先の男性から声をかけられることもありましたが、まったくピンときませんでした。子どもの心を傷つけるリスクを負うつもりはありません。恋愛や結婚はとっくに卒業したと思っていました」

娘の美香さんが国公立大に入学したことで、恭子さんの気持ちは大きく変わった。想定していた私立大学に比べると学費は大幅に安い。恭子さんはホッとすると同時に、寂しさを覚えた。

「この子には未来があって、これから巣立っていく。そんな現実が急にポンと目の前にできたと感じました。私とずっと一緒にいるわけではないんですね。そろそろ子離れしなくちゃいけません。個人年金などの備えはありますし、仕事も続けているので、経済的な心配はありません。でも、自分1人では寂しいと心から思いました」

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