「教育困難大学」で大暴れする不良学生の実態 学ぶスキルも意欲もないのに入学できる現実

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すでに推薦入試などの本番が始まっているので教員は非常に困惑するが、本人と保護者が「大学に進学したい」と思っているのであれば、止めることはできない。もちろん、一般入試に通る学力はないので、推薦入試の日程が残っている大学を探すことになる。

やりたいことがまったく決まっていないので、学部・学科選びも大変だ。結局、いわゆる「潰しが利く」といわれている社会科学系や文系の学部を選ぶことになる。大学側がいろいろと工夫して決めた学部の特色などもこのタイプの生徒たちはまったく意に介さない。ただただ「楽な大学」を選びたいと考えるのみなのだ。

学ぶスキルや意欲がない学生も、不合格にならない

この期に及んでもまじめに取り組もうとせず、「せんせー、俺の代わりに志望動機書っていうの書いてよ。どうせ、ばれやしないし」などと言い出す。教師はこうした生徒を指導しながら、心のどこかで「このいい加減な態度を面接では隠しきれないだろう。書類の内容も中身がないので、さすがに大学側も落とすかもしれない」という思いが頭をよぎる。しかし、意外にも、彼らが不合格になることは皆無といってよいのだ。

まだ社会に出たくないので大学に行くという「モラトリアム」的な進学は、数十年前からあった。しかし、ペーパーテストによる入試の存在が、そうした人も受験勉強へと必然的に向かわせ、その過程で学ぶスキルが結果的に身に付いたことが多かったと思う。

だが、上述のような流れで大学に進学する学生たちに、学ぶスキルは備わっていないし、大学で学びたいという意欲がない。そのうえ、これまでの学校生活の中で、教員の指導は無視してよいもの、自分の気持ちは教師の指導よりも優先するべきもので、それを教員が抑制しようとする場合にはキレてよい、という価値観を持っている。

しかし、彼らは大学生活では授業の場面でキレることはさほど多くはない。高校までのように服装や態度を直接注意されることがほとんどないからだ。大学と高校では、教職員と生徒との関係とは距離感が違う。授業を休んでもそのつど電話や家庭訪問があるわけでもないので、このようなタイプの学生にとっては、大学生活は天国のように思えるに違いない。しかし、そのままではやがて単位が取れず、中退という道が待っていることに彼らは気づかない。

以下のエピソードは、「教育困難大学」に勤務する教員から最近聞いたものである。彼は、日頃から「大学生は社会に出る直前の段階なので、社会常識を身に付けさせるべき」と考え、実践している教員だ。ほかの多くの教員とは異なり、授業中に寝ることや、人の話を聞く態度なども、気になった際にはそのつど学生を注意している。

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