高卒ドラフト1位がハマる栄光と敗北感の罠

プロ野球の世界で挫折を味わった4人の軌跡

2006年ドラフト1位(高校生選択会議)で東京ヤクルトスワローズに入団した増渕竜義はすぐにチャンスをつかみ、1年目に初勝利を挙げ、5年目には7勝をマークした。しかし、先発でも中継ぎでも実績を残しながら、最後まで自分の居場所を見つけることができなかった。重度の「イップス(精神的な原因などで思い通りの動きが出来なくなる症状)」にかかり、本来のピッチングを見失った。ひじも肩も痛くないのに、ボールが投げられなくなることほど、ピッチャーにとってつらいことはないだろう。

1997年ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから1位指名された渡辺正人は上宮(大阪)を甲子園ベスト4に導いた大型内野手。高校時代に思い切りのいいバッティングでヒットを量産したが、プロ入りしてから「バッティング・イップス」にかかった。

「プロでは5人くらいのバッティングコーチに指導を受けましたが、言うことが全員違う。そのうちにどうしていいのか、わからなくなりました。どういうタイミングでバットを振り始めていいのかさえわからなくなって、体が固まってしまう。『えっ、どうやって打つんやったっけ』と思う。そのうちに、バッティング練習をするのが嫌になりました」(渡辺)

1984年ドラフト1位で南海ホークスに入団した田口竜二は都城(宮崎)のエース。1984年春のセンバツでは桑田真澄と清原和博のいたPL学園(大阪)を苦しめた。しかし、田口は一軍でわずか1イニングを投げただけだった。田口は、自身が成績を残せなかった理由をこう語っている。

選手がコーチを選べないという悲劇

「自分の感性を押しつける人が多く、コーチが言っていることが私には理解できませんでした。指導されればされるほど、フォームがバラバラになっていく。アドバイスを聞くたびに、投げられなくなる。自分がもっとちゃんとしていればよかったのですが、批判され、否定されることでどんどんうまくいかなくなっていきました。

ああせい、こうせいと言われすぎて、手が上がらなくなりました。いまで言うイップスとは違うのですが、思い切って腕を振っているのにいいボールがいかない。カーブも曲がらない。あれもダメ、これもダメという状態に陥りました」

プロ野球界には「〇〇〇を育てた名コーチ」と称賛される指導者もいれば、逸材を壊してしまうコーチもいる。選手はコーチを選べない――そこに悲劇が生まれる下地がある。  

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