高卒ドラフト1位がハマる栄光と敗北感の罠 プロ野球の世界で挫折を味わった4人の軌跡

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田口はさらにこう続ける。「気が強い人間はコーチに好かれません。言いたいことを言う、やりたいことをする、そして、よく遊ぶ選手は。まあ、全部私のことです(笑)。練習は真面目にやりました。ちゃんと走る。でも、夜に寮を抜け出して遊びに行くと、すぐにばれる。そうすると、監督やコーチに『なんだ、あいつは』と言われてしまう。何か言われたら、『ちゃんと練習してるからいいじゃないですか』と答える……嫌われますよね。

コーチと選手には相性もあります。指導者は選手の能力や成長度合いを見極めながら、導いていくべき。でも、日本には、勉強の足りないコーチが多いように思います。苦労するのも、クビを切られるのも選手です。

日本では、論功行賞としてコーチの仕事を与えられるケースが多い。コーチとはどういう仕事なのか、どんな人が適性を持っているのか、ほとんど考えられることがありません。30年以上経っても、状況は変わっていないのではないでしょうか」

田口の言葉を「昔の話」で片づけることができるだろうか。いまもコーチと選手の間には同じ問題が横たわっているような気がしてならない。

手に入れた宝を磨く努力をしているか

1985年ドラフト会議で清原の「はずれ1位」で近鉄バファローズに入ったのが、その春のセンバツで東筑(福岡)のエースとして甲子園出場を果たした桧山泰浩。しかし、一軍での登板が一度もないまま、ユニフォームを脱いだ。現在、司法書士として活躍する彼は、6年間のプロ野球生活をこう振り返る。

「自分の野球の能力を考えたら、プロでも『やれる』と思いました。すぐには無理でも何年か後には一軍でプレイできると。でも、実際には、投げては打たれ、投げては打たれの繰り返しです。そこで課題を見つけて練習に打ち込めばよかったんでしょうが、野球に対して、努力をすることに対して『なんか、嫌やな』という気持ちになってしまいました。毎日毎日、遊びほうけ、飲みまわっていました。練習にも身が入りませんでした。ほかの人には迷惑をかけないようにして、『あとは死を待つだけ』でした」

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もちろん、責任は本人にある。だが、上限いっぱいの契約金を払い、三顧の礼をもって迎え入れた宝を磨く努力を、各球団はしてきたのだろうか。

今年もまたドラフト会議が行われ、甲子園や大学、社会人で輝かしい成績を残した選手たちがプロ野球の扉を開ける。その先には栄光と祝福、ビッグマネーが待っている。しかし、これまでに味わったことのない挫折や困難、地獄のような苦しみが横たわっている可能性もある。

どんなに能力の高い選手でも、プロ野球で活躍できる時間は、人生よりも短い。ユニフォームを脱ぐときに、「完全燃焼した」と思えるような現役生活を送ってほしい。それが、その先にある次の人生を実りあるものにできるかどうかの重要な鍵になるからだ。選手はチームもコーチも選べない。だから、与えられた環境の中で戦うしかない。今年のドラフト会議で指名された選手たちが1年でも長くプレイできることを心から願っている。

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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