カシオの「余り計算電卓」が品薄になったワケ 発売後2週間で欠品、急きょ増産に動いた

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電卓はカシオにとって祖業だ。電卓市場ではカシオ、シャープ、キヤノン、米テキサス・インスツルメンツ(TI)などが主なプレーヤーだ。100円ショップなどで売られる低価格製品を除くと、電卓の世界市場は約1億800万台(ビジネス機械・情報システム産業協会調べ)。カシオは年間5000万台を生産しており、半分近くものシェアを握っている。

前身の樫尾製作所を経てカシオ計算機が設立されたのは1957年のこと。第1号の製品は電卓の先祖となる計算機で、価格は48万5000円だった。1965年にはカシオが電卓1号機を38万円で発売。その後TIが要素部品の外販を始め、電卓の製造が容易となると、40社以上がしのぎを削る「電卓戦争」と呼ばれる時代に突入した。

地道な改良で差別化を模索してきた

カシオ計算機が1972年に発売した小型計算機「カシオミニ」(写真:カシオ計算機)

そんな中、カシオが1972年に発売したのが「カシオミニ」。表示を6ケタに絞る代わりに小型化を実現。電卓の普及価格帯が4万円台だった中で、1万2800円という低価格が受けヒットとなった。

その後価格競争が激しくなると、TIに要素部品を依存していた各社は差別化ができず、次々に撤退する。残った電卓メーカー会社は、価格以外の利点を見いだすことに注力していった。シャープが省電力かつ本体を薄くできる液晶を使って手帳サイズの製品を出すと、カシオは名刺サイズで対抗。1983年にはクレジットカードサイズの電卓を発売した。

小型・薄型化といったハード面での劇的な進化には区切りがついた。「それ以降はハードウエアからソフトウエアへ、つまり法人向けや教育向けなど、シーンに即した計算を支援する方向に発展した」(カシオ広報)。そして用途に合わせた電卓を順次発売するようになっていった。

「多くの人にとって電卓は、基本的な四則計算ができれば十分。プラスアルファの特長をつけて買ってもらうことは、つねに私たちのテーマだ」と尾澤氏は話す。どこにでもある製品だからこそ、どう差別化するかが重要だ。模索の末に生まれた製品の1つが、余り計算電卓だった。

遠山 綾乃 東洋経済 記者

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とおやま あやの / Ayano Toyama

東京外国語大学フランス語専攻卒。在学中に仏ボルドー政治学院へ留学。精密機器、電子部品、医療機器、コンビニ、外食業界を経て、ベアリングなど機械業界を担当。趣味はミュージカル観劇。

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