「忙しい私」というナルシシズムの大きな代償 「私が思う私」は胡散くさくてインチキっぽい
「忙しいんだよ」「仕事がいっぱいで、最近、眠る時間もあまり取れないんだよね」など、など。
しばしばこうした台詞(せりふ)は「忙しさ自慢」として他人には嫌われがちです。嫌われがちであることも今いち自覚しないままに、忙しさ自慢をしてしまうとしたら、その理由は何でしょうか。
それは単純です。気持ち良いからですね。
では、なぜ気持ち良いのでしょうか。忙しいということは、仕事がたくさん与えられているということで、皆から自分が役立つ、求められている存在として扱われていると思えるからです。
――つまり、「この私は、有意義な人間なのである!」と、偉そうな気分に浸れるからだと申せるでしょう。
そしてこうした発言は、自覚はなくても偉そうで「私って本当はスゴいんですよ!」と言っているのと同じであるため、もちろん嫌われてしまうんですね。
忙しさ自慢の奥にあるもの
他人から嫌われるかどうかはともかくとして、こうして忙しくなりたがる根性のため、不必要に苦痛を背負い込む傾向があるとすると、それは得策ではないでしょう。
仕事のスケジュールの組み方にせよ、休日の予定の立て方にせよ、似たようなことが申せます。スケジュール帳に空白のところがあると、何となく自分が、誰からも求められていない、役に立たない人間であるかのように感じるのが怖くはありませんでしょうか?
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