「忙しい私」というナルシシズムの大きな代償 「私が思う私」は胡散くさくてインチキっぽい
もしそのような恐れがあるなら、うっかりギュウギュウ、キツキツに人と会う予定を詰めこみすぎてしまいかねません。あるいは、キャパシティを超えて、タスクを詰めこんでしまうことも。
こうして、「忙しい、忙しい」と、グチに見せかけて屈折した自慢をする人が完成するのです。
忙しさ自慢には、「嫌われる」以外のデメリットもあります。自らをいろいろと損なうのです。
何となく有意義な有能な人間になった気分を味わえるのとは裏腹に、キャパシティを超えて働きすぎるせいで、疲労もたまります。創造性も落ちてきて、発想の転換を図る余裕もなくなり、惰性に陥りがちです。
「ステキな私」という、何の得にもならないナルシシズムの代償は、大きいということですね。
ですから、予定を入れるか否かについて、選択の余地があるなら、ちょっと内省して立ち止まってみましょう。予定を増やして「ステキな私」を保ちたい気持ちが隠れているのに気づいたら、キャパシティを超えないよう、気をつけましょう。
予定と予定の間に適度な隙き間を残しておいたり、時には人と会わずに内省できる時間も、残しておくようにするのです。
それが、前回や前々回の記事で記したような心のリセットをするチャンスにもつながり、総合的に見れば生産性を高めることにもなるでしょう。
「私のイメージ」が、「リラックス」を妨げる
そもそも、私たちのやる気や集中力というものは、割合にふわふわと変動しており、あるタイミングではより高まり、あるタイミングではより低まったりしています。ずーっと、ガリガリガリガリと無理して働くよりも、「低まってきたとき」には柔軟に休息し、その分、リフレッシュして再開するほうがずっと有意義なのです。
この際にも、リラックスするのを邪魔しているのは、「私」のイメージです。「すばらしい私」には、「休息」とか「何もしていない安らぎ」とかは不要なのである!!………とばかりに、現実をありのままに見られなくなっている、ということですね。
そうです、「私とは、〇〇な人間である」というイメージこそは、リラックスして安らぐためには、最大の障害のひとつなのです。
「私は、忙しい人である!」をはじめとして、「私とは、面白い人である!」とか、「私とは、けっこうデキる人である!」などといった、心を縛りつけるもろもろの呪いです。
こうしたイメージがいったん生み出されてしまいますと、そのイメージに沿う出来事しか、心は受け容れたくなくなります。
それの何が問題なのかと申しますと、イメージに沿わないことは、誰であっても刻一刻と発生することです。
どんなにデキる人でも、調子は、脳内での多様なホルモンの分泌状況の変化に応じて、変動し続けています。ですから、その人物なりによりデキるときと、よりデキないときが当然ながらあります。
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