こうして、欧米崇拝型知識人の論点は「すべて」論破できると確信していますが、だからといって私がそれに賛同しているわけではない。私は、それにもかかわらず、こうした、テープ音による注意、勧告、挨拶、感謝の言葉は、やはり大嫌いであり、大反対なのです。このあたり、さらに詳細に語らねばなりませんが、次回以降にとっておきましょう。
これで、少なくとも「音」がいわゆるデシベルの問題ではないこと、むしろ人間のコミュニケ―ションのあり方の問題であることが、おわかりいただけたと思います。
誰かのコメントに、欧米では電車内の携帯電話の禁止規則はないのに、わが国ではある、というものがありましたが、これも説明できます。わが同胞は、公共空間における他人に対して、きわめて不寛容であり、その分「お上」に対して寛容だからです。
電車内でのお喋りはOKなのに携帯電話はなぜNG?
携帯電話が普及しはじめた20年前ころ、新聞紙上でもさんざん議論されていましたが、「人前で、個人的話をしなくてもいい、恥を知れ」という意見が多かった。しかし、それより数段大きな「携帯電話は他のお客様の迷惑になりますから・・・・・・」という車内放送には全然文句を言わない(私はこの放送のほうが嫌なのですが)。
携帯電話の問題はコミュニケーション的にたいへん興味深く、「話す」という自然のあり方を逸脱すると、われわれには「うるさく」感じられる。携帯電話はうるさい、しかし、それと同じ音量で会話している2人の声はうるさくない。こちらは「自然」だからです。このことは、小さい声でも「独り言」がとても「うるさく」思われることからもわかりましょう。
というわけで、この30年間、孤軍奮闘、身体がもたなくなるまで考えてきたことを「みなさん」と議論できる絶好の機会が与えられて、大感激です。これからもよろしく。
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