日本で「お節介な注意放送」が流れる根本理由 「日本人のマナーが悪いから」が理由ではない

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こうして、欧米崇拝型知識人の論点は「すべて」論破できると確信していますが、だからといって私がそれに賛同しているわけではない。私は、それにもかかわらず、こうした、テープ音による注意、勧告、挨拶、感謝の言葉は、やはり大嫌いであり、大反対なのです。このあたり、さらに詳細に語らねばなりませんが、次回以降にとっておきましょう。

これで、少なくとも「音」がいわゆるデシベルの問題ではないこと、むしろ人間のコミュニケ―ションのあり方の問題であることが、おわかりいただけたと思います。

誰かのコメントに、欧米では電車内の携帯電話の禁止規則はないのに、わが国ではある、というものがありましたが、これも説明できます。わが同胞は、公共空間における他人に対して、きわめて不寛容であり、その分「お上」に対して寛容だからです。

電車内でのお喋りはOKなのに携帯電話はなぜNG?

携帯電話が普及しはじめた20年前ころ、新聞紙上でもさんざん議論されていましたが、「人前で、個人的話をしなくてもいい、恥を知れ」という意見が多かった。しかし、それより数段大きな「携帯電話は他のお客様の迷惑になりますから・・・・・・」という車内放送には全然文句を言わない(私はこの放送のほうが嫌なのですが)。

携帯電話の問題はコミュニケーション的にたいへん興味深く、「話す」という自然のあり方を逸脱すると、われわれには「うるさく」感じられる。携帯電話はうるさい、しかし、それと同じ音量で会話している2人の声はうるさくない。こちらは「自然」だからです。このことは、小さい声でも「独り言」がとても「うるさく」思われることからもわかりましょう。

というわけで、この30年間、孤軍奮闘、身体がもたなくなるまで考えてきたことを「みなさん」と議論できる絶好の機会が与えられて、大感激です。これからもよろしく。

中島 義道 哲学者

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なかじま よしみち / Yoshimichi Nakajima

電気通信大学元教授・哲学塾カント主宰
1946年福岡県生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。専門は時間論、自我論。2009年電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授を退官。現在は「哲学塾 カント」を主宰し、延べ650人が参加した。著書は『働くことがイヤな人のための本』『私の嫌いな10の人びと』『人生に生きる価値はない』(以上、新潮文庫)など約60冊を数える。

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