これまで2回連続で、日本における過剰な注意放送との「闘い」について取り上げてきました(第1回→★、第2回→★)。
「音」の問題に入ったとたん「コメント」が多くなり、しかもわりとまじめなものが多いので(どうしようもない「無思考症候群」もありますが)、丁寧に答えようと思います。まさに、こうした「対話」こそ、私が30年闘ってきた目標なのですから(PHP新書、改題『思いやりという暴力』PHP文庫)。
すなわち、私はソクラテスの弟子であって、対話を「切り捨てる」態度は相手に罵詈雑言を浴びせかけるより数段悪だと思っている。しかも、これってわが国(とりわけ物のわかったような人)にかなり多いんですね。
筆者が30年闘っても「うるさい日本」が変わらない理由
まず、「30年闘っても状況を変えられないことを考えてほしい」というコメントに対して。私は考えました、考えて考えて考え尽くしました。たぶん、このコメントを寄せた人の1000倍は。この30年間、ひとときも考えをやめることはなかった。それは、5歳のときから考え続けてきた「死」の問題に及ぶほどです。
じつは、「音」の問題はとても歴史が長く、高度成長期(1960年代)からぽつぽつあったようですが、その頂点をなしたのは、ちょうど私が4年半のウィーン留学から帰国した1980年代半ばです。すなわち、そのころはジャパン・バッシングの頂点でもあって、ジャーナリズムは「日本は経済だけ欧米に追い付いたが、国民の『心』はすさみ果てている」という論調が支配していました。
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