さて、これを友野さんのケースに当てはめますと、フィリピンにおける経験という1つだけに偏っているがゆえに、たとえばフィリピンにおける貧困は世界において相対的に見てどの程度なのか、そしてそれはどの程度深刻なのか、国や民間団体はそれに対してどのような対策を練っているのか、といった相対感や全体感が不在であるがゆえに、自分の経験を高いレベルで咀嚼できておらず、そのため言葉にして伝えることができない、ということになろうかと思います。
聞くほうも「フィリピンにおける貧困ってすごいんだよ」と漠然と言われるよりは、世界何位とか、人口に占める貧困率とか、そういった客観的データなどを併せて説明されたほうがピンとくるのはおわかりだと思います。
したがって、仕事に結び付けるという前に、フィリピンにおける経験をより深いレベルで咀嚼し、本当に理解する必要があります。
友野さんが真剣にそういったことに携わる仕事をしたいと考えるのであれば、大学ではそのような分野の全体感や相対感を学べるようなことを勉強されるのがいいのではないでしょうか。
フィリピン以外の事例を知る、取り巻く環境を知る、かかわる政策や法律、そもそもどういった関係者が存在し、誰が何をやっているのかなど、深く理解しようと思ったら、知るべきことがたくさんあるでしょう。
そういったより幅広い勉強をしたり、経験をできるのが大学という場です。つまり、大学での学びを通じて将来自分がどのようにそういった問題に携わりたいのか、何ができるのかなどを探究するのがまずはいいのでしょう。
物事を深く理解する
繰り返しですが、物事を深く理解するためには具体的事例だけでは物足りません。それだけでもって「わかったつもり」になっても頭でっかちになるだけです。
反対に、学校の勉強だけをもって「わかったつもり」になっても、これまた頭でっかちになるだけです。
理論(学び)と実践(経験)の両方があって初めて、物事を深く知ることができ、物事を深く知ることができて初めて、他者にも簡単な表現で伝えることができるようになるものです。
友野さんがフィリピンでの経験に加え、大学での学びを通じて将来の仕事を決め、今の熱い思いを形にされるであろうことを応援しております。
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