貧困や虐待に苦しむ子をどうしたら救えるか 理解してくれる大人と社会の受容が孤立防ぐ
堀:ほんと、100人いれば100人の幸福追求のあり方があって然るべきだし、それを保証してあげられるのが民主主義の国であるべきだなって僕も思いますよ。
ホームレス支援で見えた、幼少期から続く困難
堀:一方で、副代表のもう一つのストーリーというか、どういうアプローチでなぜ立ち上げに至ったのかを教えてください。
荒井:私は9年前くらいからのホームレス支援が最初のキャリアだったんですけど。新宿とか渋谷とか、路上に寝ているおじさんたちと一緒にご飯を振る舞ったり。基本的に話し相手になることが多かったんですけど。
堀:その時は、10代?
荒井:18ですね。もう結構経ちましたけど。
堀:どうしてその分野に目が向いたんですか?
荒井:そうですね、私の地元が埼玉の大宮のほうなんですけど、比較的路上生活者はいました。私の祖母は障害者なんですけど、障害者センターに行って、人を助けることを当たり前にすべきだと、当事者なんですけど職員並みに貢献をしているのがおばあちゃんで。そのおばあちゃんの姿をずっと見ていて。おばあちゃんと朝話す時にそういう話を聞いていたので、そういう人たちに目を向けることが染み付いてたというのがあると思います。
たまたま新宿の駅におじさんが階段に座っていて、体調が悪そうだったので「元気ですか」と話しかけたら、2、3時間くらい「俺はホームレスで、こういう生活をしていて」という話をされて、「来週も話そう」と言われたのが、このホームレス支援に踏み出した1歩目だったんです。特にリーマンショックの時期だったので、若者のホームレスがすごく増えていた時期で。
堀:リーマンショックの後は、渋谷では終電が終わると階段のところが全部ベッドになって、若い方々もお年寄りの方、老若男女、ズラーっと並んで。
荒井:はい。20歳くらいのホームレスとか、同い年のホームレスもいました。そういった人たちとたくさん出会う中で、みんなで一緒にご飯を食べたりしていると、幼少期の話をしてくれて。ほとんどが子供の頃から虐待があったとか、親が障害を持っていてほぼ育てられなかったとか、親や会社と縁が切れてホームレスになったという話があって。幼少期から続いているものがあるんじゃないかと関心を持って。