貧困や虐待に苦しむ子をどうしたら救えるか 理解してくれる大人と社会の受容が孤立防ぐ
堀:医師として関わる中で、具体的に「これはいかん」「これはもう次のアクションが必要だ」という具体的な体験があったんですか?
理解してくれる他者が日常にいること
小澤:そうですね。関わっている子の中には、例えば、虐待を受けた子もいれば、発達の特性があって、学校の環境と合わなくて学校に行けなくなった子もいたりと、いろんな背景を持つ子供がいるんですね。
その中で、その子の周りに誰もその子が頼れるような人がいなかったり、その子のことを理解しようとする人がいない中、誰にもケアされず、深い傷を負った子たちに出会うことがありました。もっと早くに周りに誰かがいたら、もしかしたらここまで1人でしんどさを抱えなくてよかったのではないかと。実際、子供たちのストーリーを聞いていくと、誰かが、関われる機会はあったんですよね。なので、困難が積み重なるもっと前に、もっと早く、予防できたり、困難があってもなんとかなる環境を作る必要があると。
そのためには、まずは誰にとっても、関心を向けてくれ、理解してくれる他者が日常にいることが大切だな、と。そして、家族で育てなきゃいけない、学校にいかなきゃいけないというような、固定化された枠だけにとらわれない、オルタナティブを作っていく必要があるなと。自分にとって理解してくれる大人がちゃんといるということと、今はまだメインストリームだと思われているような人生じゃない人生でも「それもありだね」と思ってくれるような社会の受容度が高いという、この2つがあればもっと人は生きやすいし、子供は孤立しないんじゃないかなと考えて、NPOを立ち上げました。
堀:僕も虐待の現場の取材とか、里親の制度の取材をすることもあって、NHK時代から含めて。同じように小児科医の先生方が、「自分たちのところに来る時には最終的に状況が起きてしまった後だから、その前になんとかしないといけない」という話をよくされるのを聞きます。その上で、先ほど「どこかでもう少し介入できる」とか、「隙間があったんじゃないか」という話をされてましたよね。先生の中で、具体的にはどういう現場をイメージされていますか?
小澤:例えば、養育者の精神疾患や、経済的困窮かつひとりで子供を育てなければならないゆえのトリプルワークなど背景はさまざまではありますが、構造的に、養育者が、子供に関心を向けるのが難しかったり、その時間も余裕もないくらい逼迫している時、もっと頼りあったり、手を差し伸べあうことが当たり前の文化があったら、そして、頼っていい誰かが、養育者にも子供にも、必ずいる環境を作れたら、虐待の一部は予防できる可能性があったんじゃないかなと。