日本人は、根本的に戦争には向いていない

作家・西村京太郎が経験した戦争と戦後

――人事院に就職します。

1948年のことだ。米国的な新しい人事委員会の職員募集に年齢も学歴も制限がなく受験してみた。運よく合格。10年いた。最近のことだが、後進の人事院の女性総裁から講演を頼まれた。内閣府に人事局ができて、権限がそちらに行ってしまい困っているようで、元気がない。国家公務員なのだから政府のほうを向いてはいけない。国民全員の奉仕者のはずが、その存在がどうも怪しくなっている。

もともと人事院の設立趣旨は同一労働同一賃金だったはず。その当時の「理想」のまま世間はいまだに唱えている。日本人には同じ仕事に同じ賃金を払うことは合わないのかもしれない。仕事に対しておカネを払う意識がなく、その職責にいるから払うという認識なのだ。だから、同じ仕事をしていれば学歴と関係なく同じ賃金を払う米国流にはならない。

役人は昔と変わらないと思えてくる

――日本は変わらない、元に戻っていると。

十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 (集英社新書)
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最近も「変な役人」がいっぱい出てきている。戦争中は「陸軍あって国家なし」「海軍あって国家なし」だったが、今は「組織あって国民なし」か。知らない、記憶にないとばかり言っている。この情景を見ていると、役人は昔と変わらないと思えてくる。古巣の役所さえ守ればいいと。

――10年で人事院をきっぱり辞めました。

10年も働いていると、自分がサラリーマンや公務員に向いていないことがよくわかった。その頃人気のあった松本清張を読み、これなら書けると錯覚した。しかし、あらゆる懸賞小説やシナリオに応募したが、1次審査さえ通らない。

1967年に総理府の「21世紀の日本」をテーマにした創作募集があった。審査員は石原慎太郎、宮本百合子など3人で、賞金が500万円と破格。審査員を徹底的に研究して小説『太陽と砂』を書き、狙いどおり入選できた。

その後、1973年に初めて「十津川警部」を登場させたが、なお売れない。何とか『寝台特急殺人事件』がベストセラーになったのは1978年、48歳になっていた。

――現在は、12冊を同時並行で執筆しているとか。

資料が今は段ボール箱6つにほぼ入っている。12社に書かなければいけないから、それぞれ半分ずつ同居していることになる。

――刊行書籍数は7月7日現在588とのことですが。

できれば東京スカイツリーの634メートルを、数字で1冊超える635冊まで書きたい。冗談だが。

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