「いらないものなんてひとつもありません。以前、親戚たちが片付けを手伝ってやると言って、食器やフライパン、鍋、日用雑貨などを全部、勝手に捨てていきました。結局、新しく買い直さなければならず、出費がかさみました。私はあの人たちのせいで、赤貧に落とされたんです」
そんな一方的な話が本当にあるのだろうか。私が疑問を投げかけると、町内会の会長になら連絡を取ってもいいと言う。そこで、会長に話を聞くと、事情はまったく違っていた。高齢の町内会長はタイチさんのことを「小さい頃からよく知っている子です。彼のお父さんとは一緒に地域活動もしたんです」と言って懐かしんだ。そのうえで、書籍をめぐる問題については困惑したようにこう説明した。
「子ども会が廃品として回収したことは一度もありません。ただ時々、本の山が崩れて道路に散乱するので、近所の人が元に戻すのですが、それを(タイチさんが)“足りない本がある”と言ってくるようです。本当は、玄関先に本を放置することは防火上、問題でもあるんです。伸び放題の庭木も(近所迷惑だから)切ってあげようとすると、“余計なお世話です”と言われてしまって……。でもね、悪い子じゃあないんですよ」
タイチさんが故意にうそをついている様子はない。しかし、両者の主張は完全に食い違っていた。たぶん、親戚たちにも、また別の言い分があるのだろう。
疲れやすく、勤務中に寝てしまう
タイチさんは首都圏の国立大学を卒業後、コンピュータ関係の仕事に就いた。しかし、半年後、試用期間が終わると同時に解雇。その後も、正社員や契約社員として複数の会社に入ったが、いずれも本採用に至らなかった。その理由について彼は、「疲れやすい体質で……。仕事中、気が付くと寝てしまうことが、たびたびありました」と打ち明ける。
この頃、上司や同僚によるイジメやパワハラにも遭ったが、そのたびに「ほかの人と比べて頑張りが足りないからだ。もっとちゃんとしなければ」と自分を責めた。しかし、ブラックコーヒーや栄養ドリンクを飲んでも、効果はなし。いったん就職をあきらめ、専門的な知識を身に付けるため有名私大の修士課程や通信制大学にあらためて入学。情報処理やシステムアドミニストレータ、簿記などの資格を取った。この間の学費はすべて親が負担したという。
サラリーマン家庭の一人っ子として育った。「経済的には恵まれていたと思います。小学校から高校まで家庭教師がいましたから」。しかし、大学に入り直した頃に父親が病気で他界。もう一度就職活動を始めようとした矢先、今度は母親の糖尿病が悪化した。
気がつくと、母親はテレビの前のソファに終日、座りきりとなり、自らオムツを身に付けるようになった。オムツは母親が自力で着脱していたが、たまに粗相をすると、タイチさんが汚れた床を掃除したり、衣類を洗濯したりしなくてはならない。母親はヘルパーによる訪問介護を拒絶。彼は次第にこうしたことが負担になっていったと言い、やむを得ず母親を入院させることに。入院当日の様子を「“大丈夫だから。入院はしたくない”と嫌がる母を無理やり自宅から連れ出しました。でも、私のほうも介護のせいで就職活動どころじゃなくて。正直言って、こっちも限界だったんです」と振り返る。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら