「幕末、最強の剣士」は結局のところ誰なのか 「坂本龍馬、沖田総司、高杉晋作…」総合力は?
Q6. 幕末の剣術家にはどんな人がいますか?
まずは、私たちがよく知る人物の中から、実は相当な「剣の達人」だった人物を挙げてみましょう。
本当は剣も強かった、意外な「あの人」
寺田屋での遭難などから、龍馬は「拳銃使い」のイメージが強く、現在、土佐の海辺に建立されている有名な「坂本龍馬像」も、懐に「ピストル」を持っている像という説もあります。
しかし、龍馬は剣術にも長けていました。彼は土佐を脱藩する以前、剣術修行のため何度か江戸に赴いており、桶町千葉道場で「北辰一刀流」を学びました。
彼の実力を物語る証しとして、彼が道場で塾頭を任されていたことや、道場主の娘と結婚を許されていたことのほか、近年では北辰一刀流の免許皆伝もほぼ実証され、剣術家としての力量も十分にあったようです。
初代内閣総理大臣として誰もがその名を知る伊藤博文も、幕末期における彼の活動や剣の使い手だった過去については、あまり知られていません。
萩の松下村塾で学んだあと、江戸に出た彼は「神道無念流」に入門し、剣術の腕を磨きました。
国内での尊王攘夷運動が活発になると、彼自身も国学者の塙忠宝(はなわ ただとみ)、歌人の加藤甲次郎の暗殺ほか、同志の高杉晋作らとの英国公使館焼き討ちや、高槻藩士・宇野東桜の暗殺などといった過激な行動をしています。
明治の政治家として知られる木戸は、桂小五郎と名乗っていた幕末期の京都での潜伏活動などから、「逃げ回る人」のイメージが一般に定着しています。
しかし、実際の彼は「神道無念流」の免許皆伝であり、「幕末江戸三大道場」のひとつと呼ばれた同流練兵館道場に入門すると、1年で塾頭になった実力者です。
彼が得意の上段に竹刀を構えると、その気迫に圧倒される相手が続出したといわれています。しかし、晩年はいろいろと病に悩まされます。
長州藩の倒幕運動を主導し、身分を問わない志願兵による奇兵隊の結成や、第2次長州征伐では海軍総督として幕府軍を敗走させるなど、いわば「天才軍略家」といったイメージが浸透しています。
もちろん、彼自身も剣術を極めており、「柳生新陰流」の免許皆伝のほか、江戸留学中は神道無念流を学んでいます。
蘭学者、著述家、啓蒙思想家、また教育者として慶應義塾を創設するなど、日本の近代化への一翼を担った「学者」として誰もがよく知る福澤諭吉。彼も優れた剣士でした。
彼は若いころから「立身新流」の居合いを学び、成人のころには免許皆伝となり、その甲斐あって、幕末期に何度か遭遇した「暗殺の危機」を脱しています。
維新後も、彼は晩年に至るまで、「1日1000本の居合い抜き」を日課としていました。まさに「文武両道」を自身で体現した人物といえます。
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