「幕末、最強の剣士」は結局のところ誰なのか 「坂本龍馬、沖田総司、高杉晋作…」総合力は?
Q7. 実戦で強かった人は誰ですか?
幕末の京都は、尊皇攘夷運動とこれを取り締まる幕府とが激しくぶつかり合いました。この抗争に身を投じた多くの剣士が、ここで実戦を経験することになります。
竹刀を真剣に持ち替えて
幕府講武所の剣術師範だった彼は、脇差を使用する小太刀術の達人で、「小太刀日本一」と呼ばれる実力者です。清河八郎暗殺のほか、京都において見廻組を率い、新選組とともに尊攘派志士から恐れられました。
「坂本龍馬暗殺」についても、見廻組隊士だった今井信郎による有力な証言により、「佐々木只三郎が実行犯だった」とされています。
彼は片手抜刀を得意とし、左膝が地面に着くほど低い姿勢からの逆袈裟斬りで、一瞬にして相手の息の根を止める必殺技の使い手でした。
同じ攘夷派でありながら、三条実美は「彦斎が生きているうちは枕を高くして寝られぬ」と彼を恐れ、一説では「新選組ですら、京の街では河上彦斎を避けて通った」ともいわれています。
実際の彼は、身長が150センチメートルほどの小柄で色白という剣豪のイメージからかけ離れた容姿だったようです。人気マンガ『るろうに剣心』の主人公のモデルにもなっています。
新選組一番隊組長であり、撃剣師範だった彼は、「隊内最強」とうたわれ、得意技の「三段突き」を武器に、池田屋事件をはじめ数々の任務で活躍しました。
「本気で立ち合えば、局長であり自らが属する天然理心流宗家でもある近藤勇よりも実力は上」といわれた天才です。
新選組結成以前の道場時代は塾頭を務め、将来は流派の後継者と目されていましたが、病に倒れ、慶応4年(1868年)江戸で死去しました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら