「幕末、最強の剣士」は結局のところ誰なのか 「坂本龍馬、沖田総司、高杉晋作…」総合力は?
「実戦で強かった剣士」は、ほかにも存在します。
「天誅の名人」「人斬り半次郎」
当初、土佐勤王党のメンバーだった彼は、武市瑞山(たけち ずいざん)らの指示で王政復古運動の妨げとなる要人暗殺に従事し、その数は少なくとも8件にのぼったことから「天誅の名人」と呼ばれました。
一方で、彼は一時期、勝海舟やジョン万次郎のボディガードも務め、襲撃してきた刺客を瞬時に撃退しています。
「人斬り半次郎」の異名を持つ彼は、屋根の軒先から雨だれが地面に落ちるわずかの間に、刀を3度抜き、3度鞘(さや)に納めたといわれるほどの「示現流」の達人です。
西南戦争では西郷隆盛に従いますが、敵だけでなく戦いにおじけづいた味方の兵も容赦なく次々と切り捨てるため、西郷から兵が足りなくなると刀を取り上げられ、以後は木刀を腰に差していたといわれています。
Q8. 「女性の剣士もいた」というのは本当ですか?
はい。不明な点もあるものの、おおむね事実とされています。
幼少時より父・貞清から「法神流剣術」を学び、長刀は父にも劣らぬ実力だった彼女は、実兄の中沢貞祗(さだまさ)とともに「浪士組」(新選組の前身)に参加します。
その後、彼女は「新徴組」の一員として、江戸薩摩藩邸の焼き討ち事件や、戊辰戦争を戦いました。
庄内での戦いでは、官軍の砲火の中で十数人の敵兵に囲まれるものの、数人を切り伏せて包囲を突破したといわれています。
彼女の容姿は、身長約170センチ、顔は面長で色白の美人だったことから、維新後は求婚の申し出が多々あったようです。
しかし、「自分を(剣で)打ち負かすことができたら」の条件に、それを満たす相手が現れぬまま、生涯を独身で過ごしました。
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