ここ最近、日本では有名人の不倫報道が後を絶たない。いずれも、許されぬ恋に身を任せる男女が猛烈な批判にさらされるが、1000年前の日本はもっと「おおらか」だった。当時は通い婚で、複数の相手もOK、掛け持ちもOKというような恋愛観が普通だったので、小町の生き方が倫理的にぶっ飛んでいたということはない。
しかも、そもそもその「奔放美人」説はどちらかというと、各地に広まった伝説によって裏付けされているものであり、彼女が書いたであろう十数首余りの作品からはむしろ許されぬ恋に思い悩む弱い女性というイメージのほうがずっと深く刻まれている。今まで語られてきた伝説に反して、意外と一途だったかもという逆説的解釈もできるわけだ。
胸元を広く開いたドレスを着て堂々とレッドカーペットを歩くカトリーヌ・ドヌーブ先生のように、年老いてもなまめかしいままの小町も魅力的。だが、そんな彼女を恋の痛手から立ち直れない女性に変身させてみると、作品が作り出す世界観が見る見るうちに新たな広がりを見せてくれる。
実は秋田出身だった!
小町は秋田県出身という説が有力とされている。京都から一歩出た場所でも野蛮な田舎と思われていた平安時代、そんな遠いところから女1人で上京して、女官になって有名歌人になるというのは想像を絶する夢の出世コースだ。
そこで、小町はどうやって田舎を脱出できたのだろうか。
たくさんの仮説が提唱されている中、小町は「氏女(うじめ)」という制度によって、抜擢されて京都に行ったのではないか、という説がある。まあまあ由緒ある家族に生まれて、その一族の期待を担って、小野氏一門の代表として出仕したのではないかという説だ。つまり、小町はプロパーではなく、地方の中途採用として女官になったわけである(ややコネを使った疑いも完全にぬぐえない)。
この制度には年齢制限や容姿に関する厳しい決まりもたくさんあったが、未婚であることが絶対条件だった。結婚した場合は交代する必要があったので、背負わされた期待に応えるためには男性との交際はもちろん、かなり制約に縛られた生活を強いられて小町が女盛りを過ごしたのではないかという見方ができる。
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