もっというと、せめて夜だけでも来てくれれば、逢い引きが許される唯一の道、つまり夢の中での儚(はかな)い道が開かれるので、それだけでもいいの!と迫りくる不安と焦り、あふれる想いに発狂寸前でつぶやいていたかもしれない。
――と、妄想が頂点に達したその瞬間、ちょっと冷静になって少しだけ持ち合わせている平安時代についての知識を振り絞ってみる。
和歌は、限られた人たちの中で共有され、その中だけで磨き上げられた文化だ。たとえ自然を詠んだり、感情を詠んだりしても、それはありのままの自然や感情ではなく、あくまでも「和歌」という世界の中で存在しうるひとつの要素にすぎない。荒れた自然より整然とした庭のほうが美しい、本当の景色より、歌枕として行間の中に見え隠れする地名のほうが美しいというのが、その世界を支えている論理だ。
それを知り尽くしている貴族たちの日常において和歌は、気持ちを伝えるために使う手段の一つだったものの、ただの「言葉遊び」として楽しむことのほうがずっと多かったとも考えられる。
「ちょろこいことやわ~」
たとえば、当時は「歌合(うたあわせ)」というイベントが頻繁に開かれていたらしい。参加者が左右に分かれて、それぞれがあらかじめ用意されていたお題について詩を詠んで勝負する。
それは、こんな風景だったかもしれない。在原業平は有名な歌人2、3人を連れて現れる。会場の中央には台が置かれ、みながそれを囲んで歌合の準備を始める。小町は扇子を仰いで、「よーうつってはりますなぁ」と、宮廷に招かれた女性歌人の御召し物を褒める。
さて、みながそろって会場が少し静まったときに、主催者がこう発する。「今日のお題は叶わぬ恋」。小町はその言葉を聞いて少しほほ笑み、「ちょろこいことやわ~」と呟きながら在原業平にウインクする……。
色香を発散し、次々に男を餌食にしてゆく魔性の女か、恋に夢中になりすぎたイタイ女、または気前のいいキャリアウーマン。出し惜しみ女王がさまざまな姿に変身していくが、依然として顔はたおやかな黒髪で隠れたままだ。それを少しでも見ようと、多くの人が何百年先も彼女の言葉を追っていくのだろう。
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