乱れる黒髪、裏返した着物、涙に濡れた袖、官能的で情熱的な愛――。形式ばった和歌の世界の中ではそこまで率直で、過激な表現は珍しい。あれだけ情熱あふれる言葉をすらすらと書ける人は毎日お弁当を作って節約するような良妻賢母ではない。その言葉が残す艶やかな余韻こそがさまざまな伝説を生み出している。
たとえば、『百人一首』にも載っているこの名歌。
ここで「花」は「桜の花」を意味していることと、「いろ」は「色彩」だけではなく「形姿、容姿」の意味も表しているという2つの要素に注目したい。まず、長らく美の象徴とされてきた桜の花をちゃっかり自分にたとえるなんて、相当の自信をお持ちでいらっしゃる!
「いろ」は単なる「色彩」だったら「長い雨が降っている間に、桜の花が色あせてしまった。それと同じように、ぼんやりしている間に私もおばさんになっちまったわ」、というような解釈になる。しかし、咲く瞬間から散るまで、桜の花の色が変わらないので、どうもしっくりこない。だが、「形姿、容姿」という意味合いを採用してみると、歌全体の味がちょっと変わってみえる。
だが、これを読み返してみると、形が違えど、花が花であり続けると同じように、私もまだまだいけるわよッ!とどことなく甘いささやきが耳元で聞こえてくる感じもする……。
正しい解釈を確かめるすべはないが、小町が失われた日々を思い返し、すすり泣きするおばさんではなく、いつまでも人の心を惑わすようななまめかしい美熟女だったと信じたい。御簾(みす)越しに垣間見るフェイスラインが若干たるんでみえても、言葉は永遠に美貌を保ち続けるはずだから……。
実際、和歌のやり取りだけ見ても小町の奔放ぶりには目を見張る。そのお相手は、安倍清行に小野貞樹、文屋康秀、僧正遍昭……というそうそうたる面々。そして本当かどうかわからないが、当代きってのプレイボーイ在原業平との熱愛も言い伝えられている。
まじめな参考文献をパラパラめくっても、あの人もこの人もといった具合に次々と愛人の名前が解説から出てくるので、一生独身を貫いたおひとり様のパイオニアとしても名を馳せた小町は、かなりお盛んだったと言わねばならない。
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