パッションあふれる心の持ち主なのに、恋を夢見ることすら許されていない寂しい一生を送る……それは小町の詩があんなに苦悩に満ちている本当の理由なのかもしれない。
たとえばこの歌。
「禁じられた恋」を小町がうたうと……
なんかこう……わかるような、わからないような、そこまで相手のことを思ったことあるのだろうか、と自分の月並みでちっぽけな恋愛が恥ずかしくなる。愛する人のことを思いすぎて、暗闇の中で一睡もできず目を見開いて、髪の毛が乱れて、どうしようもなく涙を流している小町……みたいな絵が頭の中にできてしまう。
自由に外を歩くことができなかったからこそ、「足を休めることなく歩き続ける」と言っているのはまさに夢の中の夢だが、現実に考えにくい行動だからこそ、小町独自のリアリティがある。隣に枕を並べて寝ていたら絶対にもらい泣きしそうな状況だ。
心をわしづかみにされる苦しげな詩がまだまだたくさん。
夢の中でも他人の目を気にしなければならないほどの禁断の恋。小町の繊細な文体から彼女の苦しみとじれったさ、行動を一切できない待つ女の宿命が痛いほど伝わっている。
ところで、有名な歌なのに、「夜も来む」の解釈がはっきりしない。「私があなたのところに行きましょう」と「あなたが会いに来る」という2つの読み方ができるので、主語がどれなのかが読み手次第。来るのは「私」でも「あなた」でもいいの、逢えれば!と小町が伝えたかったかもしれない。
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