滝沢カレンのヘンテコ日本語が愛される理由 独創的なだけでなく誠実で優しさにあふれる

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2つ目は、滝沢さんが実に堂々としている、ということです。彼女は、自分が話したことで共演者がツッコミを入れたり笑ったりすると、それにつられて照れたような笑みを浮かべたりすることはあります。でも、話す前や話している途中に自分から不安そうな様子を見せることはありません。

言葉というのは、話している本人の気持ちがそこに乗ってくるものです。仮に、滝沢さんがもっと不安そうに、間違いを恐れておどおどと話していたら、聞き手にもその不安は伝わります。そのような状態で話していたら、今のような人気を得ることは難しかっただろうと思います。

滝沢さんはモデルをやっているだけあって、見た目は上品で、姿勢もいい。声のトーンにも落ち着きがある。それなのになぜか言っていることがハチャメチャである、というギャップが面白いのです。滝沢さんの態度や話し方からにじみ出ている「品のよさ」こそが、笑いを生む源になっていると考えられます。

知らないことは知らないと認める誠実さ

3つ目は、彼女が誠実である、ということです。たとえば、アドリブで状況を説明するナレーションをするとき、滝沢さんは自分が知らないことを知ったふうに伝えようとはしません。知らないことは知らないと認めて、ありのままを伝えようとします。

たとえば、鶏ガラスープをすくっている映像を見ながら、「入浴剤を入れたようなお湯」と表現したことがあります。滝沢さんはそれが「鶏ガラスープ」だとわからなかったため、自分なりにその液体の外見的な印象をそのまま表現しようとしたのでしょう。

もちろん、鶏ガラスープを「入浴剤」で例えるのは、日本語の使い方としては不適切かもしれません。でも、本人はきちんと伝えたいという一心で、頑張ってその言葉をひねり出しているわけです。そこにあふれている誠実さこそが、彼女の最大の魅力です。

滝沢さんは確かに、言葉をあまり知らないかもしれないし、日本語に不自由なところがあるかもしれません。でも、気持ちのうえでは、相手にきちんと伝えたい、意思疎通を図りたいという思いを持っている。その根底の部分でごまかしたりするような「邪念」が感じられないからこそ、彼女は多くの視聴者に愛されているのでしょう。

昨今のバラエティ番組では、流暢に話をする技術に長けた芸人が台頭しているせいで、出演者が少しでも言葉に詰まったり、言い間違えたりすると、それを厳しくとがめるような風潮があります。細かい間違いを気にしてしまうのは、日本人の国民性なのかもしれません。

そんな中で、滝沢さんは誰よりも自由にのびのびと言葉を発しています。話し言葉は気持ちを伝えるためのツールにすぎません。滝沢さんが本来持っている誠実さや優しさは、その「ヘンテコ日本語」からでも十分に伝わっているのではないでしょうか。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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