江戸城「大奥」は、本当にハーレムだったのか 「男子禁制、女性1000人」知られざる実態は?
Q5. 大奥にも身分制度はあったのですか?
はい。大奥で働く女性たちは、「御目見(おめみえ)以上」「御目見以下」「部屋方(へやかた)」の3つに大きく分類されます。
職掌によって将軍に接触できるのが「御目見以上」、そうでないのが「御目見以下」で、さらにこれらの女性たちが自らのサポート役として私的に雇っている女性が「部屋方」です。
出世すれば城下に屋敷、副業も
「御目見以上」と「御目見以下」は、それぞれの中でもさらに細かく分類され、定員も設けられていたようです。
・上臈御年寄(じょうろうおとしより)〔1人〕:大奥の最高位で将軍・御台所の相談役。名誉職で実権はなかったといわれる
・御年寄(おとしより)〔4人〕:大奥全体を取り締まる実質的なトップ
・御中臈(おちゅうろう)〔7人〕:将軍・御台所の身辺の世話係。通常はこの将軍付中臈から側室が出る など
・御仲居(おなかい)、御火之番(おひのばん)、御末(おすえ) など
御目見以上の奥女中が、私的に雇ったサポート役
Q6. 給料はもらえたのですか?
はい。ベースとなる基本給のほか、衣装手当、自分が雇った「部屋方」の雇用手当、薪や炭など暖房手当、味噌や塩といった食費補助など、諸手当も充実していました。年金制度(勤続30年)もありました。
ちなみに、各役職の年収を現在の貨幣価値に換算すると、「上臈御年寄」で約2700万円、「御年寄」で約1500万円、「御中臈」で約700万円です。
また、御年寄になると城下に屋敷がもらえ、それを貸店舗など副業に活用できたりと、「御目見以上」はかなり裕福でした。
Q7. 「御目見以下」の給料は?
残念ながら、「御目見以下」の給料はグンと低く、御末で年収約90万円と現代のパートタイマーなみです。
それでも、この金額は当時の町家で働く住み込みの女性の倍以上だったといいますから、大奥で働くことは当時の女性たちにとって憧れの的でした。
Q8. 高い地位への昇進は可能だったのですか?
もちろん、可能です。ただし、昇進のスピードや狙える地位は、「大奥」内に存在する各派閥のうち、どの派閥に属するかで結果が大きく異なりました。
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