江戸城「大奥」は、本当にハーレムだったのか 「男子禁制、女性1000人」知られざる実態は?

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Q9. 「大奥」は、完全な「女の園」だったのですか?

はい、将軍以外は「男子禁制」で、勝手に男が入れば死罪です。

そのため、「大奥」へのアクセスは、本丸御殿中奥にある「御錠口(おじょうぐち)」という将軍専用の出入り口が1カ所あるのみでした(後に防災上の観点からもう1カ所増設)。

ただし、「御台所」が城外へ外出するときに使う玄関や、「大奥」の女たちが出入りに使う通用口は別途設けられており、将軍以外の訪問者はこちらの入り口を利用しました。

「お相手」を自由には選べない

Q10. 将軍は「大奥」に毎晩通っていたのですか?

それはまず不可能です。

たとえば、将軍が毎月行う公務のひとつに、徳川歴代将軍の月命日の墓参りがあります。

毎月決められた日に上野寛永寺や芝増上寺などへ参拝に訪れるのですが、その前日は身を清める意味で「大奥」での宿泊は禁止でした。

このため、江戸後期の将軍は代が進むほど日程が窮屈となり、「大奥」へは月のうち半分ほどしか泊まれなかったようです。

Q11. 将軍は、相手の女性を自由に「選り好み」できたのですか?

タテマエはそうですが、実際はほぼ不可能でした。

広大な敷地に何百という女性がいた「大奥」ですが、将軍が行き来する範囲は限られていました。

彼と日ごろ接触する女性も、若い者は将軍付の「御中臈」くらいしかおらず、「添い寝役」も大抵はその中から選ばれるのが一般的でした。

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