生活保護と障害年金を合わせ毎月17万円を超える収入があれば、なんとかやり繰りできるのではないか。足りないと思うなら、なぜ自炊をしたり、たばこ代を節約したりしないのか。年頃の娘と暮らすのに、どうして爪くらい清潔にしないのか――。気がつくと、私の質問はずいぶんと非難がましいものになっていた。
これに対してケンさんは変わらず、淡々と答える。「体調が悪いときは、本当に動けないんですよ。自炊するくらいなら、食事を抜いたほうが楽。格安スーパーで400円の弁当と飲み物を買って、1日1食という日も珍しくありません。そんなときはね、身だしなみなんて、どうでもよくなるんです」。喫煙については、「生活保護を受けていても、たばこを吸う幸せを求める権利はあります」と返された。
反論の余地がない。私には双極性障害のある知人がおり、この病気の過酷さはある程度、知っている。「動けないときは、動けない」というのは決して大げさではない。生保受給者の喫煙については、反論どころか、私の考えとまったく同じである。それに、冷静に考えると、ケンさんは生活保護費が少ないことに文句は言っても、遊興費につぎ込み、生計が立てられなくなっているわけではない。
長時間労働の犠牲者であることは間違いないが…
彼の話がすべて本当だとは思わない。一方で、介護関連会社で明け方まで残業をした後、キャバクラや居酒屋で深酒をしてストレスを発散。気がついたときには肝機能の状態を示すガンマGTP(基準値50以下)が600を超えていたことや、体重が20キロ落ちて最後には布団から起き上がれなくなったという話はリアルだった。彼が異常な長時間労働の犠牲者であることは間違いない。こうした構造的な問題に目を向けず、彼は妻や娘たちにもっと申し訳ないと思うべきで、生活保護の支給額に文句を言うべきではないなどと考えるのは、本末転倒な話だし、取材する側の傲慢だろう。
これらのことを頭ではわかっているのに、なぜこんなにも釈然としないのか。
ケンさんは取材前、私や編集部と交わしたメールの中で「学歴」を詳細に記載してきた。それによると、都内の進学校を卒業後、いったん国立大学に進み、その後で有名私大の法学部に入り直している。卒業証書も持参してくれた。本人は「共通一次(当時)は9割くらいできていたんです。本当は東大の医学部に行きたかった」と言う。「過去の栄光」は輝かしく、懐かしいものなのか。その頃に戻りたいかと尋ねると、彼はこう答えた。
「いいえ。戻れるとしたら、小学生くらいでしょうか。好きな女の子がいたんです。勉強ばかりするのではなく、彼女にきちんと気持ちを伝えていれば――。大切にしたいと思う人がいたら、もっと周りとケンカをしないようにして、体も大切にする、そんな人生を送れていたかもしれない」
ファミリーレストランを出ると、ケンさんが立ち止まり、「僕はここで」と言った。最初にたばこを吸っているのを見かけた場所である。よく見ると、灰皿が設置されている。喫煙スペースだったのだ。それでも、彼がいわゆるヤンキー座りをして煙をくゆらせ始めると、通り過ぎる人が時々、ギョッとしたような視線を投げかけていく。
貧困にあえぐ人や、障害のある人すべてが清く、正しいはずがない。いつも空腹にさいなまれ、住む場所もない――現代の貧困はそんな単純な姿をしていないことも知っている。しかし、娘より、日本の将来と言ってのけるケンさんを、私はいまだに受け入れることができない。貧困とは何か? 障害者とともに生きる社会とは? 私が思っている以上に「答え」は遠いのかもしれない。
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