ハリー杉山「最大の失敗が最大の宝になった」 勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある

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もちろんスマホやパソコンもない時代。ツイードのジャケットにはLOBBのハット。アタッシェケースなど持たずノートや資料は背中とパンツの間に差し込む。雨が降れば新聞が傘がわりです。どことなく雑で、でもスタイリッシュ。とことん仕事を愛し、夜な夜な働く父の背中を見て、少年の心には自然と憧れの気持ちが芽生え、同じ道を進みたいという欲望が生まれました。

父のようになりたい。それを察知したのか、僕を頻繁に、職場だった日本外国特派員協会に連れていき、ジャーナリストとはひとりで成立するものではなく、コミュニケーション術の巧拙が強く問われるものであり、信用がなければつづけられない職業だと教えてくれました。身を危険に晒すのは当たり前、しかし、それに見合うだけの収入は期待できない、報われない職業だとも言いました。

一方で、たびたびこんな言葉を投げかけてきました。“You are destined to become rich...go where the money is.”と。つまり、”おまえはお金持ちになる運命を持っているのだから、(ジャーナリストになるなんてことは)さっさと諦めなさい”と、言うのでした。

カリギュラ効果なのか、否定されれば否定されるほど、情熱とは赤く燃え上がるものです。僕は父の影を追って渡英し、家族が代々通った学校であるパブリック・スクールに通いはじめました。けれど、とんとん拍子に進むと思っていた矢先、まさかの落とし穴が待ち受けていました。大学入試に失敗したのです。

面接段階で”不適切”とジャッジされ…

今でも忘れられない2002年のクリスマス。不合格の通知が届きます。ラジオからは「きよしこの夜」が流れていました。受験者全員がオックスブリッジ(オックスフォード大学、ケインブリッジ大学)を受かってきた僕のイギリス側の家族200年の歴史に、不合格者として唯一の汚点を残してしまったのです。筆記の試験さえも受けさせてくれなかったのは、面接段階で”不適切”とジャッジされたからでした。人生最大の挫折、恥じらい、敗北を味わいました。

何のために僕は生きてきたのか? 自問自答する日々がそれからつづきました。高い学費を払い続けてきた両親にどんな顔を合わせるべきか? 親戚や先生からも”彼は失敗作だったな”と言われるんじゃないか。そんな恐怖に日々震えていました。

ただ不思議なことに、人生最大の失敗と思っていたこの不合格は、時を経て僕の人生において最大の宝になります。それはBlessing in disguise ……姿を変えた祝福である、と思えるようになったからです。

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