野村克也が憂う、大谷翔平が抱える「大問題」 栗山監督の大谷起用法にも疑問がある
私は「エースの条件」として過去の経験から、「チームの危機に瀕した状況を救ってくれる存在」であり、「チームの鑑(かがみ)であること」を挙げている。
連敗を重ねて雰囲気が落ち込んでいるとき、あるいは打線がふるわずなかなか得点できないとき、「1対0の勝利」を引き寄せられる投手。あるいは、味方がエラーして足を引っ張ろうが、不平不満を表さず、マウンド上からナインを奮い立たせ、さらには逆境をものともせず、勝利を稼ぐよりも負けない投手こそが、エースのあるべき姿である。
そして人間的にもエースであることを偉ぶらず、チームの勝利のために全力を傾け、決して欲にとらわれることなく、「組織が勝って初めて自分が生きる」という、野球選手としての基本姿勢を備えていることも、エースには必要だ。
私が見たところ、大谷はまだ若く経験が浅いが、すでに全身からエースのオーラを発している。特に昨季は終盤の大事な試合では必ず大谷が登板して、ことごとくその試合をものにしていたという印象が強い。それに大谷がマウンドに上がったら、相手チームを「今日はもうダメかもしれないな」というあきらめの雰囲気にさせていた。まさに“球界を代表する真のエース”になるべき逸材だ。
大谷に1つだけ欠けているもの
だが、大谷には1つだけ欠けているものがあった。それが「体の強さ」だ。
確かに神様はプロ野球選手にとって必要な「打撃力」と「投手力」の二物を大谷に与えたかもしれないが、「ケガをしない、強靭な肉体」までは与えてくれなかったのかもしれない。特に足首のケガはクセになりやすい。投手だったら予測できない動きは少ないが、走塁は瞬間的な判断が求められるがために、とっさに無理な動きが生じてしまうことがある。
右足首は昨年の広島との日本シリーズで1塁を駆け抜けた際に痛めたというが、これも二刀流の弊害だろう。投手として打席に入れば、ベースを踏むときも細心の注意を払うだろうが、野手の意識で打って走っていると、「なにがなんでも1塁でセーフになってやる」、あるいは、「1つでも先の塁を狙おう」という意識が働いてしまうために、今回のようなケガは十分起こりうることだ。
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