「斉藤仁」が命を削り家族に遺した柔道家の魂 妻は亡き夫への誓いを胸に生きていく
息子が壁にぶつかっていることを目の当たりにしながら、助けてあげようにも柔道を教えてあげられない三恵子さんは、かける言葉を見つけられずにいた。
そのとき、三恵子さんが手にしたのは、かつて息子たちのためにと撮影したあの映像だった。夫が息子に教える姿を、何度も何度も見返していた三恵子さんは、ふと夫が命を削ってまで伝えたかった思いに、気付く。夫が伝えたかったのは、柔道の技術ではなく、柔道家としての魂。そんな亡き夫の思いを三恵子さんは息子たちに伝えた。
「『強くなるために必要なのは、毎日の稽古の積み重ね』ってお父さん言ってたよね。お父さんは努力して努力して、金メダルを獲った人なの。その魂を、あなたたちに伝えてくれたはずよ。だから絶対、乗り越えられる」(三恵子さん)
斉藤仁の魂は、自分たちの中に生き続けている…こうして家族は明るさを取り戻した。
「主人は見えなくなってしまったんですけど、でも常にそばにいてくれるような存在感をみんな感じながら日々生活しているので、いつも主人がそばにいるという思いですね」(三恵子さん)
妻が…息子が…試練を乗り越え、第2の人生への1歩
そして仁さんの死から1年が過ぎた昨年8月。次男・立くんが中学生日本一を決める大会に挑むことに。立くんは、この大会を亡き父に自らの成長を報告する大事な勝負と位置付けていた。
観客席には、仁さんの遺影と共に、応援する三恵子さんの姿があった。
「お父さん、見ておいてね、応援してあげてよ。お願いします」(三恵子さん)
そして立くんは、決勝まで順当に勝ち上がり、見事に優勝を果たす。小学校6年生の時以来の、日本一に輝いた。それは同時に、柔道家・斉藤仁を失うという試練を乗り越え、家族が一歩前に踏み出した瞬間でもあった。
この年の秋。三恵子さんのもとに、ある人物が訪ねてきた。それは、仁さんが代表監督をしていたときの愛弟子で、アテネ五輪の金メダリスト・鈴木桂治さん。その目的は、高校・大学とそれぞれ進学を控えた息子たちを、みずからが監督を務める国士館に誘うためだった。
国士館といえば、高校、大学ともに全国トップクラスの柔道強豪校。それは息子たちにとっては願ってもいないオファーだった。ただ、国士館は東京の学校だ。大阪に暮らす三恵子さんにとっては、2人の息子が自分の元から離れてしまうことを意味していた。
それでも妻は、亡き夫との誓いを思い返し、断腸の思いで東京へ送り出すことに決めた。「一人の男として頑張って来いって、勝負して来いって、主人だったらそう言うだろうなと思うので」(三恵子さん)
三恵子さんから息子たちを託された鈴木さんは、「自分は斉藤先生に教えてもらったことしかできないので、同じことを教えることになると思いますが、僕としては嬉しいことです」(鈴木さん)
亡き夫に「息子たちを柔道家として大成させる」と誓った三恵子さん。彼女は第2の人生の生き甲斐をこう語る。
「いちばんの生き甲斐は子供たちです。今は子供の成長をみること。でもいずれは、子供以外で自分の生き甲斐を見つけられればいいなと思いますね」(三恵子さん)
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