「斉藤仁」が命を削り家族に遺した柔道家の魂 妻は亡き夫への誓いを胸に生きていく

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その後、2人の人生は劇変する。結婚3年後の2000年、夫が柔道日本代表の監督に就任したからだ。

柔道は日本のお家芸であり、五輪で金メダルを獲ることが義務とまで言われているスポーツ。さらに仁さんの前任監督が、国民栄誉賞を受賞した、あの山下泰裕さんというプレッシャーの中の就任だった。

そのため、その指導ぶりは、まさに鬼気迫るもの…。代表監督の1日は多忙を極め、指導を終え帰宅するのは、なんと午前3時を過ぎることも。それだけでは終わらない。仁さんは家の中でも柔道一色に染まっていた。

あるとき、あまりに根を詰める様子をみかねた三恵子さんが「家にいる時ぐらい、柔道を忘れたら?」と言葉をかけた。すると仁さんは、「常に柔道のことを考えてなきゃダメなんだよ。命がけでやらないとオリンピックで金メダルは獲れない」。

その言葉に三恵子さんは、背負っている重圧を改めて知る。

「正直、気構えて結婚したというのは無かったですけど、とにかくオリンピックのこと、いかに勝たせるかっていうこと、9割がそれ。これは私も中途半端な気持ちではいけないなと思いました」(三恵子さん)

その日から、妻として三恵子さんが始めたのは、家の中では夫に一切のストレスをかけないようにすること。身の回りの世話は、全て先回り。仁さんがシャワーを浴びていれば着替えを用意。あがってくる頃には、すぐに食事ができるよう、料理の支度を完了させる。「命をかける柔道に集中させてあげたい」、その一心で支え続けた。

妻の支えで獲得!オリンピックで5個の金メダル!

夫の監督就任から4年後。迎えた2004年、アテネ五輪。仁さん率いる日本男子柔道は、鈴木桂治選手を筆頭に3つの金メダルを獲得。さらに4年後の北京オリンピックでも監督を続投し、2つの金メダルを獲得。この時、金メダリストとなった石井慧選手からはこんな言葉が飛び出した。

「オリンピックのプレッシャーなんて、斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁の突っ張りにもなりません」(石井選手)。

アテネと北京、合わせて金メダル5個。仁さんは重責を全うして、8年間勤めあげた代表監督を勇退した。

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