1台のスマホが照らす豪州難民施設の真実 収容中のジャーナリストが実名で内部告発

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身を潜めた生活にいよいよ限界を感じ始めたブッカーニさんは、2013年5月23日イランを逃れ、オーストラリアへボートで向かうことを決めた。年老いた両親はオーストラリア行きを望まず、住み慣れたイランにとどまることを選び、家族は離れ離れとなった。しかし、書くことすらままならなかった抑圧された暮らしから、ようやくジャーナリストとして再び生きられる――。

難民申請をしたものの

そんな思いを胸にインドネシアを経由してボートに乗り込んだが、75人の難民認定申請者とともにオーストラリアの海軍に途中で捕らえられてしまう。オーストラリアに難民申請をしたものの、近隣のクリスマス島(オーストラリア連邦領)に抑留された後、その年の8月にマヌス島の収容施設に移動させられた。

当初、オーストラリアに向かうボートの上で、彼は希望を持っていたという。なぜなら「オーストラリアは、とてもモダンで民主的な国であり、リベラルだ。上陸できたら彼らは僕をジャーナリストとして受け入れてくれるだろう」と信じていたのだ。そのため、クリスマス島に着いたとき、こう尋ねたという。「私はジャーナリストですが……」。しかし、担当者は耳も貸さずに、そのままマヌス島へ収容された。

『豪州政府は、密航業者を利することを理由にボートでの入国を例外なく一切認めない強硬策を取る』(写真は豪州政府HPより)

ジャーナリストから、一瞬で施設の収容者となってしまったブッカーニさん。しかし、かすかな希望を捨てることはなかった。施設内には、アフガニスタンやイラクから戦火を逃れ避難してきた、本来難民認定されるべき収容者たちが多数含まれている。いつ施設を出られるかわからない中で人生の先行きが見えず失望している同胞たちのために、収容所内の実態を明らかにしようと、発信を始めたのである。

施設内の実態は今、国際社会から「人権侵害だ」と強い非難を浴びている。

収容所での児童への性的暴行や劣悪な医療体制、さらには拷問などが報じられおり、ジュネーブの人権委員会には、処遇を批判した国際連合の報告書が提出されている。とりわけ、医療体制の劣悪さは際立っており、ブッカーニさん自身も自らが発信した記事の中で、こう述べている。

「2年以上の間、私は歯痛に悩まされていた。幾晩もの間、痛みに耐えてきたが、医療を受けることはできなかった。2本の歯を失ってとうとう、2年間待ち続けてきた歯科医の治療を受けることができたのだ」

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