しかしこれだけでは足りない。なぜならば「越境する投資主体」が投資を行っているのは必ずしもわが国だけではなく、文字どおりの「グローバル」、すなわち地球上のすべての国・地域がその対象だからである。そして「越境する投資主体」たちがその親玉とでもいうべき国際金融資本と共に行っているのが、これらのさまざまな国・地域においてそれぞれ異なる「山」と「谷」が見られるように、微妙なズレを生じさせることなのである。
そのことによってまずは盛り上がりを見せ始めたAという国に投資が行われ、それがピークを過ぎる頃には次のBという国が「エマージングマーケット」として登場し、といった具合に、マネーが国境を飛び越えて移動していく。
これがまさにグローバルマクロ(国際的な資金循環)であり、言ってみれば世界史の本質なのである。そしてたいへん興味深いのは、これら「越境する投資主体」や国際金融資本たちは、準備が整うと「こっちの水は甘いよ」とばかりにマスメディアを通じて世界中のマネーを呼び込むための宣伝工作を始めるということにある。そして「そのようなもの」として公開情報を分析することで、私たちは逆に彼らの意図と真の戦略を知ることができるというわけなのだ。これが私たちの研究所が研究している「情報リテラシー(information literacy)」である。
こうしたグローバルマクロの中における「さざ波」とでもいうべき公開報道の数々を追っていると、気づくことがある。それは普段であれば明らかにわが国についてネガティヴな評価しか下していなかったはずの米欧の「越境する投資主体」たちが、しきりに「次は日本、そう日本だ!」と叫び始める瞬間があるということである。
むろんそのように露骨な例ばかりではなく、むしろ分析するとそのようなメッセージとして解釈できる情報が広められる場合のほうが多い。だからこそわが研究所の出番ということになるわけであるが、いずれにせよ、そのようにして「マネーがわが国に押し寄せる予兆」を公開情報分析でとらえ、たとえば外交日程のような形でそのありうべきタイミング候補までもが現れれば、今度はその日をターゲットに集中的に分析を詰めていく。その繰り返しでグローバルマクロの波を体感することができるようになってくるのである。
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