しかし、正直に言いますが、その地元に骨をうずめ、「大学や教員たちが中心となって、その地方を活性化しよう」という気概を持った先生にお会いすることは、ほとんどありません(ゼロとは言いません)。
残念ながら、その地方に関係のない大学を出てなんとなく大学に残り、就職先の1つとしてその大学にやってきて、ほとんど論文も提出しないまま定年まで安穏と暮らす……というタイプの方が非常に多いのです。
どうしてせっかく、その地方に就職したというご縁をもって、必死になってその地方の特色を出したカリキュラムを作り、日本全国からそれを目指して集まってくるような地方大学を創る、という気概すらないのでしょうか(もちろん何人かはそういう方もおられますが、全体で見れば微々たるものです)。
ちなみにワタクシ、岩手県紫波町で公民の連携プロジェクトであるオガールの開発に携わってから、はや8年が経ちましたが、東京生まれの東京、ニューヨーク育ち、紫波町はおろか岩手県には縁もゆかりもありませんでした。
1番のファンになり、よさを広めなくてどうする
しかし、仕事を引き受けたからには、ワタクシが「1番の紫波町のファンになり、そのよさを日本全国に広めなくて、どうするんだ」と思い、紫波町中を歩き回り紫波町のよさを体感してきました。
こうして東洋経済オンラインのようなメディアで書いたり、講演会でお話しするので、いまや紫波はかなり有名になりましたが、その当時は「しわちょう」ではなく「しなみちょう」などと言われることもしばしば。知名度の低さは悲しいほどだった、という経験があります。
しかし、こうやって情熱をもってやっていれば、それは全国区になりうるということなんです。ちなみに紫波町はさまざまな歴史、文化があるので。代表作の『銭形平次捕物控』など383編を発表、日本文学界に燦然(さんぜん)と輝き、いわゆるベンチャービジネスの先駆者である野村胡堂の出身地だったりするわけですが、全国的にはほとんど知られていない。
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