あの「渋カジ」が再び注目を集めているワケ 団塊ジュニアだったら誰でも知っている

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ピッティを訪れていた、北欧のヴィンテージショップで働くカップル。ミリタリーを上手にドレスアップしている(写真:島村幸志)

モード(ファッションショー)の世界でも、往年のアメカジをモードに昇華させるケースが増えてきています。2017年秋冬からラフ・シモンズがデザインを手掛けるカルバンクラインは、渋カジの後期に流行したウエスタンブーツを取り入れていましたし、ルイ・ヴィトンはB-3をクロコダイルのレザーで提案しました。ウィメンズで人気のあるクロエも、ワーク系のオンブレーチェックのコートを、ドレスに合わせる意外性のあるスタイルを発表しています。

1980年代のアメリカは、経済的には停滞していた一方で、文化的にはまばゆいばかりに輝きを放っていました。この大国から発信される音楽、ファッション、映画は、日本だけではなく世界中の若者を熱狂させたのです。ミラノでは1980年代前半から中盤にかけて「パニナリ」というアメカジのムーブメントがありましたし、パリでも1980年代にアメリカの「ショット」のライダースジャケットが大ブームになりました。

「流行は繰り返す」のは世界共通の現象で、なぜ1980〜1990年代のテイストがここ数年でリバイバルしているかといえば、それはその時代に青春を過ごした世代が、作り手や発信する立場になってきていることに尽きます。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、高校生、大学生の頃に夢中になったファッションは、いくつになってもその人の軸になることが多いのです。渋カジが団塊ジュニア世代の価値観、とくにモノを選ぶ基準の根本を形成したように……。

都内有名私立高校の子息が火付け役

渋カジがブームになる少し前の1980年代中頃、若者の大勢は“DCブランド”に熱狂していました。日本のデザイナーが初めて流行のイニシアチブを握った画期的な流行だったわけですが、そのカウンターカルチャーとして生まれたのが渋カジでした。1985年頃の渋谷のストリートで自然発作的に生まれたアメカジの集団(チーム)は、都内の有名私立高校の富裕層の子息で構成されていました。彼らはすぐに東京の高校生のヒエラルキーの頂点に立ち、あこがれの存在になったのです。

とにかく頭の先から爪の先までアメリカにこだわるのが渋カジの流儀。アメカジが世界的に見直されている今、当時のアイテムがまた新鮮に映る(写真:筆者提供)

そのうわさが口コミで都内の高校生に徐々に伝わり、フォロワーが増え、1988年頃から彼らのファッションは渋カジ(渋谷カジュアルの略)と呼ばれるようになります。そして1989年に、当時の2大若者情報誌『ホットドッグ・プレス』と『ポパイ』が大々的に取り上げたことにより、その波は全国に広がります。ここで、渋カジは東京の一極集中型の流行から、世代全体を巻き込んだ全国的な流行に発展するのです。

1990年には、紺のブレザー(紺ブレ)を主体とした米東海岸トラッドの“キレカジ”と、バイカー寄りの “ハードアメカジ”に二分化します。そして1991〜1992年春の“デルカジ”(モデルカジュアルの略)を最後に、さまざまなスタイルに枝分かれするようなかたちで終焉するのです。

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