あの「渋カジ」が再び注目を集めているワケ 団塊ジュニアだったら誰でも知っている

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1985〜1992年春の渋カジの変遷を記したイラスト。左から1987年頃のアメカジ、1989年頃の渋カジ、1990年頃のキレカジ、1991年頃のハードアメカジ(イラスト:綿谷寛)
「紺ブレ」「リーバイス501」「吉田栄作ヘア」……。1980年中盤から1990年代前半、日本は空前の「渋カジ」ブームに沸いていた。当時の高校生や大学生は小遣いやバイト代を貯めては、せっせとファッションにおカネを投じていたのだ。この戦後最大のアメカジブームを支えていたのは、現在40代になった団塊ジュニア世代である。
あれから30年。今でも消費の牽引役である、彼らが夢中になった渋カジとはいったいどんなものだったのか。自身も団塊ジュニア世代である、ファッションジャーナリストの増田海治郎氏は著書『渋カジが、わたしを作った。』で、団塊ジュニアと渋カジの歴史的変遷を追った。パリコレクションなどを取材し、最新ファッション事情に精通している同氏が、なぜ今「渋カジ」に注目したのだろうか。

「アメカジ」にリバイバルの兆候

戦後の日本の若者ファッションの歴史は、すなわち“アメリカへのあこがれ”の積み重ねでした。日本のデザイナーやヨーロッパ勢が優勢だった時期もありましたが、時代を10年ごとに区切れば、アメリカンカジュアル=アメカジが廃れることは決してありませんでした。そんな日本のアメカジの歴史のなかで最も規模が大きかったのが「渋カジ」(渋谷カジュアルの略語)でした。

「なぜ今、渋カジなのか?」といえば、それは1980〜1990年代の文化が世界的にリバイバルしてきているタイミングだからです。ファッションの世界では、この時代のアメリカンカジュアル=アメカジが確実に復活してきています。日本にその時代感を当てはめると、必然的に渋カジにたどり着く、というわけです。

ピッティでもアメカジが増えている。写真はイタリアのアメカジのカリスマ、アレッサンドロ・スクアルツィさん(写真:島村幸志)

イタリア・フィレンツェで開催される紳士服見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」を例に挙げましょう。日本でも高い知名度を誇るこの紳士服の祭典は、世界中から3万人以上のファッション業界人が来場し、会場の入り口でカメラマンが撮影するのが風物詩となっています。ここ数年、そんな業界人の服装に明らかな変化が見られるようになりました。以前は全身をイタリアのクラシコ系でまとめた人が多かったのですが、最近はアメリカのワークウェアやアウトドアウェアをコーディネートの中に取り入れる人が増えてきているのです。

ストリートファッションの世界でも、アメカジが見直されてきています。この1月に取材で行ったロンドンやパリでは、アメリカのフライトジャケット(B-3やMA-1)を着たストリート系の若者を多く見掛けました。また、ニューヨーク発のストリートブランド「シュプリーム」は今春、渋カジで流行したレザーウェアブランド「バンソン」との協業モデルを発売しました。レザージャケットが17万8000円と高額でしたが、ウェブショップでは発売直後に完売。ヤフオクやモバオクをのぞくと、10万円ほど高い“プレ値”で売られているのです。

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