あの「渋カジ」が再び注目を集めているワケ 団塊ジュニアだったら誰でも知っている
この一見バラバラな1985〜1992年春までのアメカジがベースにあるファッションは、断絶したものではなく、同じ担い手が新しい物を貪欲に取り入れていった“進化の歴史”でした。
渋カジを経験したのは、1967〜1977年生まれの約10年の世代で、その中心は1971〜1974年生まれの団塊ジュニア世代でした。ファッション史的にも珍しい男女共通の流行でしたから、世代全体を巻き込んだというのは決して大げさな表現ではありません。東京と地方の違いは大きくありましたが、東京を中心とした大都市圏のファッションに興味のある高校生は、みんな渋カジでした。この時期の渋谷は、団塊ジュニアの巨大なアフタースクールみたいで、街がキラキラ輝いていました。
不遇の世代がつくった唯一にして最大の文化
渋カジはメディアが提案したものではなく、ストリートに集まる高校生たちが発信した、という点で画期的でした。当時、実売80万部を誇った『ホットドッグ・プレス』と同40万部の『ポパイ』は、1985〜1988年はDCを中心とした姿勢を崩さず、渋カジを取り上げることがありませんでした。でも、その流行があまりにも大きくなり、無視できない状況になったから、ようやく1989年に重い腰を上げたのです。今では何かと揶揄されることの多い団塊ジュニアですが、この時代は高校生にもかかわらず大きな流行をつくるだけのパワーがあったのです。
私が今、渋カジに再び注目した理由は3つあります。ひとつは、渋カジという日本初のストリートファッションは、ファッション史において非常に貴重だということ。私は渋カジの中心にいたわけではありませんが、同時代を生きてきた1人として、この画期的なムーブメントを記録しておきたいと考えました。
もう1つは、ファッションに対する興味が薄いと言われる若い世代を刺激できないか、と考えたこと。東京では、2000年代に入ってから大きなファッションのユースカルチャーが生まれていません。しかし、30年前の高校生が渋カジをつくったように、若くても時代を牽引するような文化をつくることは可能です。「渋カジ」に刺激を受けた彼らが、渋カジや裏原とは違う、今の時代を反映した新しい若者文化を誕生させられるかもしれません。
最後は、日本における団塊ジュニアの存在感の大きさです。言うまでもなく、団塊ジュニアほど社会の歪みの犠牲になってきた世代はありません。子供の頃からつねに競争にさらされ、受験戦争、就職氷河期を経験し、失われた25年の中を暗中模索しながら生きてきた世代です。人口における比重も、消費における存在感も大きな世代ですが、一方で未婚率の高さや、正社員率の低さなども指摘されており、将来的に「大きな荷物」になる可能性も取りざたされています。すなわち、この世代の動向は、今後の日本を大きく左右することになるのです。
私は、団塊ジュニアは“不遇の世代”ではなく、 “七転び八起き世代”だと思います。渋カジブームをつくり出したこの世代が、何度転んでもはい上がる力を発揮すれば、日本にももっと明るい未来が見えてくるかもしれません。
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