「教育困難校」が拡大の一途をたどる根本理由 「勉強は価値がない」という発想が蔓延

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また、座学より体を使った作業のほうがとっつきやすく、入学当初に生徒と教員が一緒に共同作業を行うことは、生徒間の関係性づくりや学校への帰属意識の創出にも役立つ。この高校の方法をまねて、この頃、各地の「教育困難校」では制服のデザイン刷新やカリキュラム変更が大流行となった。だが、そのほとんどは成果を上げることはなかったが。

改革から20年経った現在の高校は、確かに落ち着いた雰囲気だった。学校周辺にゴミも落ちておらず、校門や校庭を囲むフェンスも曲がったり汚れたりしていない。校内も古びてはいるものの清潔であり、目立つところにゴミや落書きは見当たらない。制服を大胆に着崩している生徒は見かけず、髪の色もおおむね自然である。部活動が盛んでもあり、そこで指導されているのか、都内の高校生にしてはあいさつもしてくれる。

校内には、来校者の目につくところにプロアスリートになった卒業生の写真や、在校生の部活動の実績を写真入りで記した掲示物が多数張ってある。応対してくれた教員たちの表情も比較的明るく、顔色も健康的だ。今年の3年生の進路も就職、進学ともに順調に決まっていると語ってくれた。そこには、典型的な「教育困難校」が醸し出す荒んだ雰囲気はまったく感じられなかった。もはや、教育活動が困難ではない高校になっているのだ。

目標を持って何かを学ぶ姿勢を整えられれば

この高校を実際に見て、いくつかのことを考えさせられた。

実は、この高校でも受験偏差値はさほど上がらなかった。しかし、一定の評価は定着し、近年の入試でも倍率が安定しており、定員割れを起こすことはない。受験偏差値が高くなくても、目標を持って何かを学ぶ姿勢を整えられれば、都市近郊でも落ち着いた高校生活を送らせることができることを、この高校は示してくれている。

だが、この高校の存在を喜んでばかりもいられない。ひとつの「教育困難校」が群れから抜け出せば、集まってくる生徒は今までとは当然、質が変わってくる。高校受験段階の学力が低くても、高校で何かを学びたいという学習意欲を持った生徒は、落ち着いた雰囲気の「教育困難校」を選ぶ。以前は、多くの「教育困難校」に少数ながらもあまねく存在していたそのタイプの生徒は、抜け出た1校に集中するようになる。実際に、先の高校の周辺の「教育困難校」では、より一層、困難度が深まった高校もある。つまり、一方でより深刻な「教育困難校」が誕生することになる。これでは、「教育困難校」に通う学力層内でのさらなる序列化を生んだにすぎないとも言える。

さらに、受験偏差値の数値では「教育困難校」と見なされるランクではないのだが、学校の雰囲気が事実上「教育困難校」化している高校が増えているのではないかという疑念もぬぐえない。実は、戦前の旧制中学や女学校の系譜を引く伝統校で、30年ほど前までは国公立や難関私立大学への進学者も多い学力上位校だったのに、現在は受験偏差値でもほとんど「教育困難校」に近づいている高校も現にある。

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