「赤井英和」夫婦が子に託す果たせなかった夢 妻は危険を心配しつつも最後は応援に回った

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愛する息子の将来をめぐり、夫婦の思いがすれ違った。

「まだ始めてもいないのに、オリンピックって、なに考えてるのよ!」。佳子さんはカンカンに怒った。英和さんは「ごめんなさい、ごめんなさい」と5時間泣いて謝ったという。

佳子さんが息子のボクシングに反対するのには、もうひとつ理由があった。赤井家には、つかさ、英五郎、英佳(ひでよし)という3人の子供がいる。実は、彼らには妹がいた。さくらこちゃん、ももこちゃんという双子の女の子だ。

「もう、あんな思いはしたくない」。夫婦にはつらい思い出があった

ふたりは未熟児で生まれ、臓器が未発達だった。夫婦の祈りも届かず、ももこちゃんは生後3日で、さくらこちゃんも、7カ月で天国へ旅立った。もう、あんな思いはしたくない。なのに、夫は、危険なボクシングに息子を導こうとしている。佳子さんには理解できなかった。

一方の英和さんには息子のボクシングに懸ける思いがあった。

37年前の1980年。当時21歳の英和さんは、大学のボクシング部に在籍していた。目標は「モスクワオリンピック出場」。選考会を兼ねた大会でも優勝し、オリンピック出場を有力視されていた。だが、オリンピックを翌年に控えた1979年12月、ソ連がアフガニスタンに侵攻。これに抗議してアメリカをはじめ西側諸国がオリンピックをボイコットする中、日本もボイコット。英和さんのオリンピック出場の夢は消えた。

自分が見ることのできなかった景色を息子に見せてやりたい。それが父・英和さんの偽らざる願いだった。

息子のデビュー戦が母を変えた!?

母の不安と、父の期待を胸に、息子は高校卒業と同時にボクシングの道に進んだ。父の紹介で名門・帝拳ジムの練習生となった。スタートの遅れを取り戻そうと、ジムでは連日ハードなトレーニング。家に戻れば、地下のトレーニングルームで父から直々の指導を受けた。目指すは2020年東京オリンピック。「メダルを目指してほしい」。父の夢は、息子とともに走り出した。

英五郎さんが選んだ階級はミドル級。4番目に重い階級で、日本人の選手層は比較的薄い。持ち前の運動神経と猛特訓のかいもあり、キャリアわずか1年にもかかわらずアマチュアボクシングの最高峰・全日本選手権への出場が決まった。

だが、佳子さんの心労は増える一方だった。試合が近づくと胃が痛くなり、体重が7キログラムも減った。

2015年11月、全日本ボクシング選手権。英五郎さんのデビュー戦のリングサイドには、息子を見つめる赤井夫婦の姿があった。これまで息子の挑戦を手放しで応援できずにいた佳子さん。勝ち負けよりも、とにかく打たれないで、無事でいてほしい。

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