「赤井英和」夫婦が子に託す果たせなかった夢 妻は危険を心配しつつも最後は応援に回った
結婚から3年ほど経ったある日、佳子さんは、テレビで英和さんがボクシングをしている姿を初めて見た。引退のきっかけとなった1985年の試合。それは、佳子さんにとって目を背けたくなるような試合だった。序盤から殴られ続ける夫の姿。ついに第7ラウンドでKO負け。脳出血を起こした英和さんは意識不明の重体に。医師から告げられた生存率は、わずか20%だった。緊急の開頭手術が行われ、手術後、4~5日がヤマという危険な状況。一命を取り留めたのは奇跡的だったという。
「『大ケガした人だよね』って、他の人に言われたので、ケガをしたんだな、ボクシングをそれでやめたんだな、くらいには思っていましたけど」
ボクシングは命懸けの危険なスポーツであることを初めて痛感した佳子さんだったが、すでに夫は現役を引退。自分とはもう関係のない世界だと思っていた。
妻の不安と夫の夢、すれ違う思い!?
だが、それから16年後の2012年のある日、佳子さんは、高校生になった長男・英五郎(えいごろう)さんから突然の告白を受ける。
「高校をやめて、ボクシングをやろうと思ってる」
アメフトに打ち込み、ボクシングに興味があるそぶりも見せなかった息子が。佳子さんの脳裏にあの映像がよみがえった。
実は、英五郎さんは、幼い頃からボクシングへのひそかなあこがれを抱いていた。ただ、伝説のボクサーである父と比べられるプレッシャーから、思いを打ち明けられずにいたのだ。
「プレッシャーが嫌だという理由でチャンスを逃したくない」。父・英和さんがボクシングを始めたのも、自分と同じ高校生の時。決断するなら今しかない。
思いもよらない息子の告白に、母の思いは複雑だった。「ボクシングをするために高校をやめるのは反対」。佳子さんは息子にはっきり言ったが、英和さんは喜んだ。息子の告白から1カ月。
英五郎さんがまだボクシングを始めてすらいないのに、500万円もかけて、地下にトレーニングジムを作ってしまった。佳子さんには何の相談もなかった。さらに、息子が4年後のリオオリンピックを目指す、とマスコミの前で宣言してしまったのだ。
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