「ポケモンGOには2段、3段ロケットがある」 なぜこれほどまでにポケモンは強いのか
――海外でも人気となった理由は?
海外でポケモン人気が広まったのは1998年から2000年までの3年間。米国で火がついて、欧州へと広まり、大きな流行になった。インフルエンザのような急激な流行だったので「ポケフルー」という名前までついた。それから、非常に健全な形でポケモン文化が育ってきた。
海外の特徴はユーザー層の分厚さで、特に米国でその傾向が強い。日本は流行の移り変わりが速く、新作が出るごとに大きな盛り上がりの波ができ、ユーザー層もライトユーザーとマニアックにやりこむユーザーに2分化する傾向がある。
一方、海外では一つのソフトが遊ばれる期間が長く、シリーズを通じて遊ぶユーザーも多いので、中堅ユーザーの層が非常に厚い。ポケモンGOは海外で人気に火が付いたが、そうしたところに要因があると考えている。
ポケGO、日本での配信を遅らせた理由
――昨年は世界中でポケモンGOが大ヒットした。ポケモンと拡張現実(AR)を組み合わせるという構想は以前からあったのか。
「現実の世界でポケモンをやる」という発想は昔から考えていた。そもそも、『赤』『緑』のときから、冒険の舞台は「カントー地方」。その後のシリーズでもポケモンの世界は現実の地名を類推できる形にしてきた。スマホが世界中で普及し、技術も進歩したことで、位置情報を使ってポケモンを遊べる環境が整った。
「位置情報を使って新しいことをする」というのは、(開発元の)ナイアンティックがグーグルの社内スタートアップとして発足したときから考えてきた。彼らは、グーグルの利益の根源であった検索連動型のビジネスから、位置情報連動型のビジネスを作ろうという思いを持っていた。お互いのやりたいことを実現させた結果、「ポケモンGO」が生まれた。
――ポケモンGOはまず海外で配信され、日本ではしばらく経ってからのスタートとなった。
日本で配信するタイミングは非常に悩んだ。日本人は世界で一番クオリティに厳しく、コンテンツの中身や、サーバー接続の遅延などといったことに対して低い評価を下す。逆に言えば、日本で成功できれば世界で通用するともいえる。そこで、まずはニュージーランドとオーストラリアで配信し、ユーザーの反応をうかがうことにした。その後に北米、それから日本というイメージで考えていた。とはいえ、北米から2~3日後には配信する予定だった。
ただ、海外の反響があまりに想定以上だった。オーストラリアは2000万人強の人口なのに、1日で150万ダウンロードという数字が出た。内部では「これは何かの冗談ではないか」という声もあったが、米国でも同じ結果だった。事前の想定と1ケタ以上違うユーザー数に対応するために、日本のサービスが遅れた。最初は7月10日くらいに配信する予定だったのが22日まで延びてしまった。その間、消費者からのお叱りの声が強く、日本の厳しさを実感した(笑)。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら