森昌子「息子3人をスパルタで育てたワケ」 0歳から、18歳での自立を意識してきた
やがて中学生になると、
「ちょっと待って母さん。あのときはああしたけれど、最初にボクがこれこれこう言い出したのがいけなかったのかもしれない。じゃあやっぱりボクが謝るべきなんだよね」
そんなふうに自分の行動を見つめ直すようになっていきました。私のほうから、ああじゃないこうじゃないといっても、自分が納得していないかぎり、心から反省することはできません。もし、子ども同士でケンカやトラブルがあったときも、その子に対して素直に謝ることができないでしょう。こうしたこともまた、石があってもどかさずに転ばせる母親の務めだと思っていたのです。
他人の子にも厳しく
小学校のときのお誕生日会でも、こんなことがありました。子どもたちはお誕生日になると家にお友だちを呼んで、ごちそうを食べるという習慣がありました。もちろん、うちの子もです。
「ただいま!」「おじゃましまーす!」
と友だちがバタバタと玄関から入ってきます。私は部屋に直行しようとする子どもたちに向かって、
「ちょっと待て! 靴をそろえなさい!」
と指導しました。
「はっ?」
という顔をしながら子どもたちが靴をそろえると、
「よし、じゃあ次は手を洗って」
と私。
ぞろぞろと洗面所にいって、みんなが手を洗ったところで、お誕生日会の開幕となりました。そのお子さんたちが家に帰ってお母さんに事の次第を話したのでしょう。父兄会で会ったお母さんたちからは、
「本当にありがとうございました」
「何度言っても聞かなかった子が、森ママに言われてから、玄関で靴をそろえて、手を洗うようになりました」
そんなふうにお礼を言われたのです。このときばかりは、
「これは間違いなく祖母の私に対するしつけのおかげだ」
と思い至りました。
祖母は自分が私の母親代わりにならなければいけないと、つねに思っていたのでしょう。土間から上がるときに必ず、
「まー(私の呼び名、昌子の「ま」)、靴そろえたか?」
と必ず言っていました。
「うん、そろえたー」
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