森昌子「息子3人をスパルタで育てたワケ」 0歳から、18歳での自立を意識してきた

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3兄弟が将来、それぞれ大黒柱になり、長い人生でなんらかの壁にぶつかったとき、いろんな考え方をもって対処できるようにしたかったのです。

息子たちは3人とも独立して、ありがたいことにそれぞれ自分のやりたいことに携わって収入を得ることができています。

長男はONE OK ROCKというバンドのボーカル、次男は会社員、三男はMY FIRST STORYというバンドのボーカルで、身を立てています。

息子3人はまだ20代で、成長過程といってもいい段階にあります。独立したとはいえ、親は一生親で、わが子は一生わが子です。その親の私が最期を迎えるまで、もしかしたら息子たちが最期を迎えるまで、子育ての答えは出ないし、成否もわかりませんが、今までのところは、なんとかやってきたのではないかと思います。

ジジババ育ちは三文安──本当は「年寄りっ子は三文安」という言い伝えらしいのですが、私が生まれ育った地域ではそう言い伝えられていました。祖父母に甘やかされて育った子は、わがままで我慢がなく、自分のことが自分でできない。だから普通の子より値打ちが低いという意味です。

私自身、母親が病弱だったこともあり、幼い頃は祖父と祖母に育てられました。昔ならもうその時点で、三文安です。実際、祖父母をはじめ、周りの大人にたいそう甘やかされて育ったせいか、私は極端に引っ込み思案で人見知りの子どもでした。

また、私はひとりっ子だったせいか、甘やかされて育った自覚もあります。私がやってきた子育てはまったくの我流ですが、わが子にはそうなってほしくないという反面教師のようなスタイルで臨んだ育児だったのです。

一度自分の頭で考えさせる

これまでの子育てで重視してきたことは、一度自分の頭で考えさせるということでした。3歳以降はとことん言葉で言い聞かせたり、話し合ったり、親の姿勢を態度で示すようにしました。

小学生に上がる頃になると、なにか不満があったり疑問があったり、自分が反省すべきなのかどうなのか迷ったときには、息子たちとこんなふうに話し合いをしたものです。

「なにかママに言いたいことがある?」

「ありません」

「早く終わらせたいからそう言ってるんでしょ」

「あのときは、ああするのがよかったのかなとボクは思ったんですけど……」

「でも、それはどっちかな。自分で考えて答えが見つかったら、もう一度ママのところにもってきてごらん」

「わかりました」

 私は、その場ですぐに結論を出さないよう心掛けていました。「そうだよ、それで合ってるよ」と答えを言ってしまうと、そこで思考がストップしてしまいます。子どもには考える時間を与えて、自分の頭で考える力をもたせる。それが普段の会話の習慣になっていました。

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