森昌子「息子3人をスパルタで育てたワケ」 0歳から、18歳での自立を意識してきた

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私はそのたびに靴をそろえて答えていました。そういう子どもの頃の記憶がどこかに残っていると感じました。思えば、ひと昔前は自分の家の子もよその家の子もなく、悪いことは悪いとしかってくれるこわい大人が普通にいたような気がします。幼い子どもたちにとって、私も間違いなく、こわい大人のひとりだったと思います。

18歳になったら家を出す

『母親力 息子を「メシが食える男」に育てる』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

かわいい子には旅をさせよ──昔の人の教えというものは、本当に間違いがないと思います。わが子が18歳になるまでは、親が教育やしつけをする。相談されたら答え探しを手伝い、悩んでいたらどうしたのかと声をかける。

でも18歳を超えたら、もうひとりの社会人。大人として独り立ちしなければならない。昔はそんな考え方だったと思います。冒頭でも申し上げましたとおり、私も昔の人の教えに従って、18歳まではしっかり面倒を見て、それ以降は独立させようと思っていました。

急に思いついたわけではありません。息子たちが生まれた瞬間から、将来は絶対にそうしようと決めていました。

「18歳になったら家を出す、18になったら出す」

と心の中で呪文のように唱えながら、乳母車を押していたものです。息子たちが中学の終わりくらいになると、私は必ずこう言い渡しました。

「さあ、もうすぐ高校生になります! 18歳になったら家を出て自活してください。あと3年ですよー」

家賃や光熱費、学費の面倒は私が見るので、それ以外の生活費やお小遣いはアルバイトで稼ぐよう申し伝えました。そうすると、子どもたちは期限つきの3年間をバタバタしながら過ごし、あれこれ考えるようになります。

長男と三男は歌手の道へと進み、次男は大学に通いながら、コンビニや家庭教師のアルバイトをして自活をしていました。

独り立ちするために必要なことは、いいことも悪いことも全部教えてきました。母親のめそめそした情けない姿もずいぶんと見せました。

だから、ここからはひとりでメシが食える男になっていってほしい。強く生きていってほしいという願望が私の中にあったのです。

最近では子離れできない親御さんが多いと聞きます。入社式に付き添う親御さんもいると聞くと驚きます。人それぞれいろんなご家庭があるので、それはそれで否定はしません。でも、私はとにかく3人の息子たちに将来、一家の大黒柱になって自分の子どもたちに必要なことを教え、いい家庭を築いてほしいと思って育ててきました。0歳の頃からそんな思いで3人の息子を育ててきたのです。

私が無意識に参考にしてきたのは、祖母の教え、昔の人が残した教訓であり、エネルギーとなったのは、気恥ずかしい言葉ですが、息子たちへの無償の愛、ただそれだけのような気がしています。

私、森昌子は歌手を生業にしておりますが、自分の一生を懸けた仕事は子育てです。

私なりの熱い思いが、みなさまのお役に立てることを祈っております。

森 昌子 演歌歌手、女優

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もり まさこ / Masako Mori

テレビのオーディション番組「スター誕生! 」の初代グランドチャンピオンとなり、弱冠13歳にしてデビュー。デビュー曲の「せんせい」が大ヒット。その後も圧倒的な歌唱力と親しみやすいキャラクターで「同級生」「中学三年生」と続く学園三部作や「おかあさん」「なみだの桟橋」「哀しみ本線日本海」「立待岬」「越冬つばめ」など、歌謡史に残る名曲を次々と世に送り出す。1985年には紅白史上二人目となる「司会とトリ」を務め国民的歌手となるが、人気絶頂時の翌年、結婚のため引退。2006年、20年振りとなるファン待望の復帰を果たす。現在は歌手活動だけでなく、バラエティやドラマ、ナレーションなど活動は多岐に渡る。

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