そして人と比べるというこの行動が、あこがれという感情で終わる場合と、批判や攻撃にまでエスカレートする場合もあるでしょう。しょっちゅう人の悪口を言っている人は、自分自身が幸せでないことをわかっているから、比較対象に向かって毒を吐き続けるのです。
ちなみにこの比べるという行為は、自分よりできる人とだけ比べているわけではないと思われます。いただいた文章を拝見していると、後藤さんよりも(少なくともご自身が)優れていると感じている対象の人のことのみを書かれておりますが、知らず知らずのうちに、これまた少なくともご自身が自分よりも下であると認識している対象の人とも比べているのではと思います。そうすることで、ご自身の「居場所」を探そうとされているのでしょう。仕事の能力という序列における居場所、人生の充実感という序列における居場所、などなど。
その一方で、「誰かのようになりたいわけではない」とのことですから、ご自身が自信のないそれぞれの分野において、それぞれ別の固有の対象とご自身を比較しているわけです。そしてそこに違和感を感じていらっしゃるということは、本当は後藤さんご自身も気がつかれているはずです。「周りと比べて生きることが人生ではない」ということを。
仕事に自信がないならば、なぜないのか、自信を持てる状態とはどんな状態かを考え、「自分自身が変わる」ことを通じて打開するしか方法はありません。人生に自信がないならば、自分自身にとっての幸せを自分で定義して、その幸せに向かって1歩1歩進むしか打開する方法はありません。
人生における主語と主役は自分自身
後藤さんの人生における主語と主役は後藤さんご自身です。それなのに、主役である自分が不在で、周りに振り回される状態にあるから違和感を感じているのでしょう。人と比較して生きるということは、ご自身の人生の主語と主役が周りの誰かになってしまっている状態です。自分の人生において自分不在であれば、それは違和感を感じて当たり前です。
周りと比べてばかりいると、序列という意味での居場所は見える気になるかもしれませんが、自分自身の心の中における自分の居場所は余計に見えなくなります。
結局のところ、私たちの誰もが自分自身以外の誰かになることはできないのです。それは決して後藤さんだけに当てはまることではありません。後藤さんが考える、充実してそうな人生を歩んでいる人や仕事のできる人だけでなく、どんなに才能に恵まれた人であっても、自分以外の誰かにはなれないわけです。そのことを理解したうえで、自分自身と見つめ合うのが人生ではないでしょうか。
変わりたければ、自分がなりたい方向に向かって自分自身が変わるしかありません。どんなに周りと比較しても、どんなに周りを批判しても、都合よく比較対象である周りを変えることはできません。確実に人生を変えたければ、自分が変わるしかないのです。
どうせ比べるなら、過去の自分と比べて成長を感じ取りましょうよ。そのためには、きちんとした自分ならではのポリシーや志も大切でしょうし、周りと比べない強さも必要です。そのあたりの詳細については、拙著『99.9%の人間関係はいらない』(中央公論新社)をご参照いただければと思います。
26歳。まだまだ人生はこれからです。今こそ後藤さん自身の人生を歩むべく、主役の座を奪い返しましょう。後藤さんが、周りの雑音に踊らされず、ご自身のための人生を歩まれることを応援しております。
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