94歳で日本文学を執筆する米国人学者の凄み あなたはドナルド・キーンを知っていますか
それを支えてきたのは、キーン先生の日本文化への比類なき興味と共鳴だと思う。天才しか持ち得ない語学力が常にその推進力となった。ある一時代の文学作品を読み込んだ学者なら、日本人には無論のこと、海外の研究者にもいる。しかし、古事記、万葉集に始まり、世阿彌も近松門左衛門も、三島も安部公房も、キーン先生はすべて読んできた。たとえば近松の人形浄瑠璃は難解すぎて、そもそもどこがどの登場人物の言ったことなのかすら、江戸時代の原文で読むと区別がつかない。それをキーン訳の英語で読むと、シーンが頭に入ってくる。現代日本語訳よりもさらに分かりやすいほどだ。大事なのは、そうした戯曲や物語のもつ面白さの本質が、キーン先生の翻訳や解説により、読む者に届いてくることだ。近松作で歌舞伎でも上演される『曽根崎心中』のさいごのお初と徳兵衛の「道行」は名文・名場面として世に知られるが、ここで徳兵衛の丈が「歩きながら高くなる」のを、すなわちアリストテレスが定義したような意味で西欧の悲劇の主人公と遜色ない存在感をもつようになることを発見したのも、キーン先生だった。それまで、そういう観点からこの作品を捉えた専門家はいなかったのだ。
「啄木こそが最初の現代日本人」
同様の新発見を、キーン先生は折々に続けている。最近刊の『石川啄木』は、同じ明治期の歌人ながら、近代人としての正岡子規と明確に一線を画す啄木の姿を描ききった。そう、「啄木こそが最初の現代日本人」だという発見を、その『ローマ字日記』などの詳細な分析から論証したのである。同時に、啄木の人間的な弱さやだらしなさからも目をそらさずに、私たちの周囲にもいそうな現代人としての姿を浮き彫りにした。近年は、まず英文で作品を書き、翻訳者による和文で雑誌連載もしくは単行本を刊行し、その後、英語版書籍も刊行というパターンが、キーン先生には普通だ。ほかの著者とは明らかに違う順番で、しかも英語版では、外国の読者向けに大幅な書き足しや再構成も施している。啄木と聞いてすぐに「東海の小島の磯の白砂に……」などの歌が浮かぶわれわれとは読者が違うのだから当然とも言えるが、これはとても贅沢で親切な本の書き方ではないだろうか。去る11月1日、東京の外国特派員協会で英語版『啄木』の刊行を期にキーン先生のブックトークが催されて大盛況だった。何人もの外国人記者が憧れの眼差しで先生が著書にサインする列に並んだ。
ここ数年、『啄木』を書くため脇目もふらずに膨大な資料を読み込み執筆にいそしんだ先生は、94歳になった。今なおすこぶる健啖で、デパートまで足を運んで肉を買い求め、手ずからステーキを焼いて召し上がったりもする。編集者としての私の務めは、その先生に、「次の作品」を書いてもらうことだ。現在、ご家族のひとりにまつわる文章を執筆中と聞いているが、そのあと、何を書きたいのだろうか。じつは、作品の対象となる人物やテーマをいくつか提案してきたが、まだ首がタテに動かない。しかし、先生の執筆への意欲は強く、遠からず新作の構想を聞かせていただけるものと思っている。
(文: 堤 伸輔、写真: Yoshio Tsunoda / AFLO)
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