プロ野球「戦力外」あの松坂世代に訪れた現実 引退も現役続行のこだわりも重く尊い決断だ
1998年8月22日。翌月に18歳の誕生日を控えた横浜高校のエースだった松坂大輔(ソフトバンク)は、アマチュア時代の集大成ともいえる全国高校野球選手権決勝戦においてノーヒットノーランを達成して甲子園春夏連覇を飾った。まるで漫画のような筋書きに、野球ファンのみならず多くの人が「怪物・松坂」に驚愕した。
あれから18年―――。
プロ入り1年目から3年連続最多勝に輝き、戦いの場をメジャーリーグに移してもワールドシリーズ日本人初の勝利投手になって世界一にも貢献した松坂だが、体の故障を繰り返して成績は下降。2015年シーズンから日本球界に復帰するも右肩を手術するなど、2年間、勝利から見放された。
かつての輝きを失った松坂を目にして失望するファンも少なくない。批判にもさらされている。それでも今オフはプエルトリコのウィンターリーグに参戦。これほど実績がある日本人選手として異例の選択をしてまで復活を目指している。
メスを入れた肩では以前のようには投げることはできない。それでも投げ続けるという苦難の道を選ぶ松坂は、同世代の担い手としての使命を背負っているかのように見える。
実際、高校時代から松坂の存在に触発され、力を伸ばしてきた「松坂世代」は数多い。ソフトバンク・和田毅、巨人・杉内俊哉、村田修一、阪神・藤川球児、ヤクルト・館山昌平――。彼らはタイトル獲得などで松坂とともにプロ野球を牽引してきた。
今も現役続行の「松坂世代」は4分の1ほど
今シーズンも和田が2度目の最多勝を手にすれば、過去に本塁打王2度の村田はベストナインに選出されている。しかし、30代後半を迎えた彼らの隆盛がいつまでも続くほど、生存競争が苛烈なプロ野球は易しくない。
これまで90人以上がプロのユニフォームに袖を通したが、今も現役を続けているのはその4分の1ほど。杉内や館山は大きな怪我に苦しめられている。藤川もかつてのような球威は失った。そして、今シーズン終了後に人生の岐路に立たされた選手も少なくない。新垣もその一人だ。
「結果を残せていないのだから覚悟はできていた」(新垣)という戦力外通告。「まだできると思うなら後悔しないようにやってみたら」との妻のひと言で、完全燃焼できていない自分に気がついた。まだ小さい子供たちが、父親がどんな仕事をしているのかわかるようになるまでプロ野球選手でいたい。新垣は12球団合同トライアウトを受けると決めた。