大坂の陣、「真田幸村の奮戦」でも敗れたワケ 豊臣秀頼が「あの選択」さえしなければ…

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Q9.では、なぜ豊臣秀頼は大坂を退去しなかったのですか?

そこには豊臣秀頼の秘めたる「特別な理由」がありました。

「大坂が全国有数の商業都市」であることや、「淀殿をはじめとする周囲からの要望」なども当然、理由のひとつでしょう。しかしそれ以上に、彼が大坂城に固執した真相には、「父、豊臣秀吉からの深い愛情」が関係しているように思います。

当時、豊臣秀頼の誕生をことのほか喜んだ秀吉は、伏見に新たな居城を築くと、生後まだ半年足らずの彼に大坂城を与えました。そして、秀吉が臨終の際には、自分のいた伏見ではなく、引き続き「大坂を居城」とするよう秀頼に命じます。

こうしたことから、豊臣秀頼にとって、大坂城は「父からの大事なプレゼント」であり、「父の思い」が込められた「かけがえのない場所」でもあったのです。

幼くして父を失い、その面影さえ定かに記憶していなかったであろう秀頼にとって、この大坂城こそが自らと亡き父を結ぶ「唯一の絆」であり、どうしても失いたくない「宝物」だったのでしょう。だからこそ、断固として家康の退去命令には従えなかったのではないでしょうか。

歴史には「正しい決断」へのヒントが

日々の生活において、私たちはつねに「決断」を迫られます。

取るに足らない小さな問題ならまだしも、豊臣秀頼のように「大きな決断」を間違えると、それが一国の興亡につながることもあります。人生の一大転機にかかわる局面での決断は本当に難しく、正しい結論を導き出すのは容易ではありません。

そのようなときに、何をよりどころにして「決断」したらいいのか。古今東西の賢人たちの残した格言は、「歴史に学べ」です。

歴史を通して、先人たちの成功や失敗という「結果」のみならず、その「過程」も学ぶこともできます。それを多く知ることは、似た場面に遭遇したときに最善の結果を導き出す「知恵」となり、自分を守る最大の「武器」にもなるはずです。

歴史は「教訓」に満ちあふれています。ぜひ日本史を学び直すことで、あなたの人生にも使える「大事な場面の決断のヒント」を見つけてください。

山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師

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やまぎし りょうじ / Ryoji Yamagishi

昭和女子大学講師、東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師、習志野市文化財審議会会長。1951年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は日本考古学。日本考古学協会全国理事を長年、務める。NHKラジオ「教養日本史・原始編」、NHKテレビ「週刊ブックレビュー」、日本テレビ「世界一受けたい授業」出演や全国での講演等で考古学の啓蒙に努め、近年は地元習志野市に縁の「日本騎兵の父・秋山好古大将」関係の講演も多い。『新版 入門者のための考古学教室』『日本考古学の現在』(共に、同成社)、『日曜日の考古学』(東京堂出版)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)など多数の著書がある。

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