欧州に渡った難民の知られざる過酷な生活 戦火を逃れても厳しい生活が続く
オランダに来た時には、仕事を見つけて政府からの給付金で生活するのをやめることが主な目標だった。清潔で真っ白い歯科医院で、スワイドの同僚たちは忙しく立ち働いていた。「自活することが大事なんだ」と彼は同僚たちに笑顔を向けながら言った。「この国は私を助けてくれた。だから私は何かしなければならない。それがこの国へのお返しだ」
政府からは生活費や小さなアパートの家賃として月に1000ドル程度の給付金が支給されていたが、労働契約を結んだ後、スワイドは受給をやめた。今では歯科医院に加えてバーでもアルバイトをしており、毎月、給与から760ドル程度を税金として払っている。
「社会の一員になれた気がする」
リフジー・カンパニーは10月、難民向け住宅に転用されたかつての刑務所内に就労支援施設をオープンした。ガラス張りのオフィスに広々とした会議室があり、会議室では難民たちが定期的に集まり、就職に向けた戦略を話し合ったり、ほかの人々のオランダ社会への同化を助けるためにビジネス上の人脈作りに励んだりしている。
レストランやホテルの経営者たちは施設内でカフェを運営しているほか、かつての刑務所の部屋を一風変わった高級ホテルの客室に転用する計画も立てている。カフェやホテルの運営は難民に任され、これにより難民たちは仕事や就労経験を得る。レストランやホテルはその中から優秀な人材を選び、採用することができるわけだ。
オフィスの近くの作業場ではミシンが1列に並べられ、オランダの衣料品協同組合やパリ・ファッションウイークで発表するコレクションの準備をしているファッションデザイナーからの注文に応じている。リフジー・カンパニーが縫製の技術をもつ難民向けに求人広告を貼り出したところ、オマルら20人が応募したという。
「職場にいてオランダの人々と交流するだけで、社会の一員になれた気がする」とオマルは言う。周りでは「オランダ市民」になったばかりの人々ががやがやと会話していた。
「くつろいだ気分になれるし、いつかは就職して独立できるという自信も出てくる」
(執筆:Liz Alderman記者、翻訳:村井裕美)
(c) 2017 New York Times News Service
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