久野:と、おっしゃいますと?
栗原:この辺りは、天王山と淀川に挟まれたとても狭い平地なんですが、昔から京都と大阪を結ぶメインルートなんです。新幹線ができる前から、この地域には東海道本線、国道171号線、旧西国街道、名神高速道路といった交通がひしめいていました。そこへさらに新幹線を通すには、すでにある阪急の線路にくっつけるしかなかったそうです。
久野:確かに。地図を見ると、まるでコードを束ねたかのように集まっていますね。
栗原:山崎は、羽柴秀吉と明智光秀が戦った「山崎の戦い」の古戦場でもありますが、ここが戦場になった理由も、京都へ通じるメインルートで、大軍が一度に通過できない狭い土地だから。光秀は、ここさえ押さえれば、強力な秀吉軍に勝てると考えたわけです。
久野:阪急と新幹線の並走も、山崎の戦いも、「京都と大阪をつなぐメインルートなのに、土地が狭すぎる」というのが原因だったんですね。
高架もウイスキーも「涌き水」が生んだ
栗原:はい。それから、新幹線と阪急が単に並走するのではなく、阪急も同時に高架化されたのは、この辺りの地質が関係していたそうです。天王山から淀川へ流れ込む湧き水によって沼地になり、新幹線だけ作ると、その重みで阪急の線路が沈下してしまう恐れがありました。
久野:それは危ないですね。
栗原:そこで、阪急にもしっかりした基礎を持つ高架線が作られました。ところで、この天王山からの湧き水がとても質がよく、ウイスキーづくりに最適だったんです。そこで、ここに日本初のモルトウイスキー蒸留所が作られました。現在のサントリー山崎蒸留所です。
久野:阪急が新幹線と一緒に高架線になったのと、サントリーが日本初のウイスキー蒸留所を作ったのは……
栗原:同じ「山崎の水」が理由だったというわけです。
久野:面白いですね-! 今度、鉄道ファンではない友人と新幹線に乗った時は、そのお話をした方が興味を持ってもらえますね。
栗原:僕も、新幹線の車窓がきっかけとなって調べたんですけど、とても奥が深いなと。
久野:きれいな自然風景や、乗客にアピールするユニーク企業があるかと思えば、そんな歴史的なエピソードもあるんですね。
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